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【小説】博士の愛したもの(『学 術 系 ニ ュ ー ス 』 2018年5月春号 特典)【投げ銭note】

「修史君、いつ博士号、取れて仕事が決まるの?書き直した2本目、不可だったんでしょ?その次も不可って…。いつまで結婚、待てばいいの?もう別れましょう…」

 耳を塞ぐ仕草をして、修史は目を覚ました。体を起こすと、日曜の午前7時。机の上には、飲み干した酒瓶とビール缶が山をつくっている。その横で、朝日に照らされ、指輪がひとつ、光っていた。それは、修士卒で入社した会社で出会い、一年前に別れるまで交際した同期の、彼女に贈ったペアリングの片割れだった。
 付き合って五年、会社を辞めて博士課程に入学して四年目の春。修史も、彼女も三十代に入っていた。院卒で入社した相手だからと、博士号取得に時間がかかることを理解してくれていたと思い込み、労っていなかった。たとえ、頭で納得しようとしても、期限の決まっていないことを待ち続けるというのは、彼女には耐えられなかっただろう。

 別れてから一年。修史は雑務をこなしながら、必死に書いた論文を3本、学術誌に載せた。去年の秋、博士論文を出して、年明けに公聴会を終えた。そして先週、念願の博士号授与式を迎えたのだった。
 一応、この春からは、民間のシンクタンクで働くことになっている。博論を出した後、JREC-INやアカリクに出ていた求人に、15件ほど応募して、唯一内定が出たのが、そこだけだった。任期なしの正規職員だが、海外出張の多い激務だと聞いている。今月末の引っ越しに合わせて、荷物を段ボールに詰めていたところ、彼女の残した指輪が出てきたのだった。

 一年前はこれ以上、傷つくことはないと言い聞かせ、修史はここまで走ってきた。そうやって、塞いだはずの古傷が、指輪ひとつで深く抉れてしまう。痛みはアルコールで脳を酔わせなければ、眠れないほどだった。自分で意識していたより、彼女のことが好きだったようで、重ねた5年という時間は、修史のなかで消えていなかった。

 朝のニュース番組では、気象予報士が「春一番が明日の朝、吹きます」と告げた。台風並みの風であるから、通勤・通学の際に気をつけるように、とのこと。修史は思う。もし、どこかで彼女が苦しみや悲しみに沈んでいるなら、雪が融けるように、自分のことは忘れ、新たな季節を迎えて欲しいと。
 たとえ、自分は忘れられず、別れを幾度も夢に見て、寝覚めが悪くても、彼女の幸せを願うだろう。


                    (終わり、書き手:仲見満月)

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この作品は、次の同人誌の初売りイベントに特典として付けたものです↓

本作の主人公は、

 ・2017年1月16日に公開の「【院生マンガ】大学院生あるある「事件簿」~科研費の申請書類ヤダヤダの巻~

 ・第7回Text-Revolutionsの参加者企画「300字企画」第6回に寄稿した「ある院生兼高校非常勤講師の朝

と共通する登場人物です。詳しいプロフィールは、ペーパー「研究室通信」Vol.1(『人文・社会系ニュース』2017年11月 秋の増刊号(第2刷)に巻末収録)に載せました。合わせてお読み頂くと、どんな人物なのか分かります。

ほか、本部の「研究室ブログ」では短編説話を公開しています。よければ、ご覧ください↓

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(2019.10.3追記)続編を公開しました。合わせて、ご覧ください:

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