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政治家を人格まで評価しない民主主義の行き詰まり

政治家を志さない人が増えている。政治家が優秀じゃないと世の中よくならない。もう一方であらゆる判断をAIにさせたらいいって議論もあるけど、まぁそれはおいておいて・・。

テレビに出る人間により良い容姿を求めるように、自分の止まる宿によいよいサービスを求めるように、自分が選ぶ政治家には政治家としての能力だけでなく、人格者であることが求められている。昔とちがってテレビしかない時代ではなくなり、政治家の情報もいろいろでてくるSNSで毎日発信する人すらいる。身近で発信がみえるようになったからこそ、人格を清廉潔白であることすら求められるようになった。正直、優秀な人ほど、人格が崩壊してることも少なくない。スティーブジョブズは、優秀だったけど、人格者ではなかったっていうのは有名な話。優秀な人ほど、政治家ではなく起業家になったり、違う方向をみていて、政治家を志す人は一握りで有難いとおもうほど。政治家は投票によってなりたつから、人気商売であるといえばそうであるし、人気がなければ政治家にはなれない。でも人気がある人がよい政治をするわけではなく、民主主義のデメリットであるのかもしれない。そうなるとAIに政治判断をある程度ゆだねるというのは、理にかなっているのではないかと思う。

情報化社会で個人の情報が明瞭になり、好き嫌いもはっきりしてしまうこの時代に、そんな中でも志高く政治家を志してくれる人はありがたい。その中でもほんとうに優秀な人がいて、そういう人の腰を折るようなことはしないでほしいし、責任を取ることが辞任であるってのは古い日本の風習であると思う。少ない人材資源の中で、より良い日本になるように、まわっていくそんな日本であってほしいと思う。

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