見出し画像

大江健三郎作『新しい人よ眼ざめよ』を読んで

前回、安部公房作『他人の顔』を読んだ感想文を書きました。
実はあれから少し、化粧という行為に興味を持っています。顔に何かを塗り自信を持つのという一連の行為に興味を持っています。少しづつ、化粧について勉強をしていこうという気になっています。

さて、私が手に入れた文庫本の『他人の顔』には、大江健三郎さんの解説がついていました。その解説がとても面白かったので、大江健三郎さんに興味を持ちました。
私は文学に全然詳しくありません。なので大江先生のことをインターネットで調べてみました。そこで初めて、ノーベル文学賞を受賞されていることを知りました。
(安部公房さんも受賞候補だったことは以前からなぜか知っていました。)
日本人として、日本人のノーベル賞受賞者を知らないというのは、なんだか恥ずかしい。そう感じて、大江健三郎作品の中で題名が面白そうな『新しい人よ眼ざめよ』を選び、読み始めました。

読んでみると、ノーベル文学賞をもらうような人間もこのような葛藤や感情を持っているんだという感想を持ちました。
大まかなあらすじとしては、大江さんと自閉症を持つ大江さんの息子さん達家族の物語です。大江さんがウィリアムブレイクというイギリスの詩人の歌の引用を用いながら、人間が生きるということへの考えを深めていきます。
どのような人間であっても、家族として生きていくというのは色々な苦労があるんだと感じました。

私は現在の仕事の関係で、色々な人が積極的に参加することができる共生社会について考えることがあります。
大江健三郎さんは、自閉症の息子を通して共生社会について考えているんだと思いました。

ただ、私がよく読む共生社会についての本や論文とは、視点が違いました。この『新しい人よ眼ざめよ』ではウィリアムブレイクの詩と息子の言動を関係させながら、大江さんが人間の行為を考察しています。
ウィリアムブレイクの詩の意味することは難解です。私はほとんど理解できていないと思います。
でも人間の日々の生活の中の感覚についての新しい視点を得ることができたと私は思っています。
読み終えた時、大江さんの考察に圧倒されて、なんだか自分が賢くなった気がしました。

私が最も印象に残った部分は、息子の同級生が亡くなられた時に、その子の葬式の参加について同級生の母親達が会話するところです。
私はびっくりしました。

何にびっくりしたかは、このNoteでは書き表せないです。
『新しい人よ眼ざめよ』が出版されたのが1986年だそうですが、その時代だからこそ書き表せた感情です。でも、ないことにしてはいけない感情だと思いました。

ウィリアムブレイクを読んで、詳しくなりたいような本でした。
大江健三郎さんの本を、これから少しずつ読んでいこうと思います。

この記事を書きながら、思ったのですが、この本の題名、『新しい人よ眼ざめよ』ってどういう意味が込められているのでしょう。
忘れてるけど、ウィリアムブレイクの詩の言葉なのかな。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?