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安部公房作『箱男』を読んで

ふと自分が書いたnoteを読み返してみてみると、
本の感想というよりむしろ、本と出会うまでの流れの内容がメインになっており、読書感想文としては物足りなさを感じました。

(学生の頃からの思いですが、かっこいい読書感想文を書いてみたいです。
この感想文は本を読んで2週間後ぐらいに書いています。
あえて期間を空けることで、本を読んだ「残り香」的な部分を記録に残したい気持ちがあります。)

読書をしている間は、空想の世界というか、仮想の世界というか、フィクションの世界に入ることができるけれど、
結局は自分の中に生じる感想が自分の過去の感情の派生系が多い気がします。

全く新しい視点とか、全く新しい感情ってやはりリアルな体験から得る部分が多いのかなと思いました。他人と会話したりとか。

さて、今回は安部公房の『箱男』についての感想文を書いていこうと思います。
(今回はどうしてこの本を読もううと思ったのかという部分は割愛し、内容についての私の感想を書いていきます。)

箱男のストーリーを、私は最初バカにしていたものを、少し体験してみると気持ちよくなって、今度は自分がそっち側になって抜け出せないお話だと読み取りました。

いざ箱を被ってみると、箱の中にいることが自分にとって居心地が良くなる。そっと覗き見し、実物に手を触れないことが丁度いい。

その感情が、『箱男』を読んで、私の中で反応しました。

剥き出しの感情ってかっこいいと私は思っています。
我を忘れて泣き出すとか、人に迷惑をかけない程度に悔しがるとか。
箱を被らない人間は、愚直でまっすぐで、失敗も多いだろうけど、人間らしくていいですよね。

箱男の主人公が、箱を被りながら、目の前の女に誘惑される場面。
誘惑されながら、箱から出てこれない主人公。
(興奮した時に、それを素直に伝えることは、ややもすればハラスメントですが、感情を押し殺すのもなんだか健康的でない部分もあると感じました。)

堂々と見たいものを見て、出てきた感情を表現することは、今の時代的には、難しい状況があります。
表現する場もログが取られ、消えにくい、誰でも見れるところが多いです。

小説とか、エッセイには、表立っては表現できないような感情が書き留められている時があり、そこにグッと魂を掴まれます。

私の生活は、はっきり言って、箱に入っています。
今の生活では、現実に手を伸ばして現実を変更していくことは、ほとんどしていません。(以前の職場では、現実の問題に手を加える作業が多く、それはそれでこれでいいのだろうかと怖くなった感情がありました。)

箱に入っている人にしか見えない景色ってありそうですよね。
現実の問題に取り組んでばかりいると、俯瞰的な考えが薄れてきそうな気がします。
箱に入って、ジーと観察、思考を深めることも大切な気がします。

でも『箱男』を読んで、箱に入ることがいい事だなんて思えませんでした。
労働を置いて、箱に入れるのって、結構贅沢なのでは?

昔、BL漫画が好きな友達が、自分が壁になって、誰にも気づかれずにBLを見たいと言っていたことを思い出しました。
名前をつけるなら、壁女なのかな。




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