「ほどほどにやれ」という言葉に感じる違和感
前の記事で書いた案件(こちら↓)
で、私がバタバタと忙しくしている時に、
とある人に言われたのが
「中神さんも大変だね。ほどほどにやりなね。」
だった。
私のことを気遣ってくれるのかもしれない。
大変だねと同情してくれているのかもしれない。
しかし、私はこの言葉に違和感を感じてしまった。
「ほどほどにやれ」って、なんなの
仕事を受けておきながら、自分にストレスがかかりすぎないように、適当に力を抜いて、「ほどほどにやる」って、
仕事を受けておきながらありえないなあ、と思っている。
やると決めたならちゃんとやりたい。
本気かどうか
いろんな人と仕事をする中でわかったことがある。
自分はどんな人と仕事をすると気持ち良く働けるか。
その軸の一つが「本気かどうか」。
どんな仕事でも、成功させようと本気で取り組んでいる人は力を貸したくなる。役に立ちたいし、この人のために、と思える。
情熱があり、夢中になっている。本気になっている。
私がお手伝いしているベンチャー企業も、そういう情熱があったから、私も一緒にその夢を少しばかり近い世界で見てみたいと思えた。
「ほどほど」を続けていると、ほどほどがスタンダードになってしまうと思っていて、そういう人がいたっていいと思うけれど、私はそんなスタンスは嫌、そんな人生は嫌だなあとおもうようになった。
いろんなことに夢中になりたいし、いろんな人と夢を見て苦悩して感動したい。
「本気かどうか」
これは今後仕事をしていく上での重要なキーワードだなあと思ったので、書いてみました。