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村弘氏穂の日経下段 #29(2017.10.14)


この電車 カーブを曲がるおそらくは何故って顔で首をかしげて

(枚方 久保哲也)

 電車を擬人化したことで読者の路線図は無数に広がった。もちろん「この電車」の行き着く先、終点も様々である。曲がったことが大嫌いな8000系は、川向こうのまっすぐに走る新幹線にいつの日も嫉妬心を抱いていた。ある朝、いつもの場所で速度を落とした折に、意を決して訊ねたのだろう。「速く走るために生まれたぼくが、なぜ減速してまで曲がらなきゃいけないんだ」と。寡黙な8000系が警笛を鳴らすなんてたたごとではない。すれ違いざまに、やさしい7200系が答えてくれる。「枚方の京阪の線路は淀川と同じカーブを描いているんだ。緩やかに走ることによって川瀬にシンクロするきみのその姿にどれだけの神々が惹かれているのか考えてごらんよ。だから川向こうの白いヤツのことなんか気にせずに僕らは僕らのペースで走り続けることが大切なんだよ」と。推量の「おそらく」という無敵の副詞を巧みに詠み込んでいる作品の下の句には無限の可能性があるのだ。おそらくは、乗客の一人が『近ごろ何故ぼくの短歌は日経新聞に載らんのやろ、はよ掲載してくれへんと東京新聞に乗り換えてまうで』などと企みながら詠んだ作品のようだが、こうして採用されたのだから京橋駅で快速特急に乗り換えなくてよかったのだ。もしかすると、この擬人化された通勤電車の中には、まるで変わらない日常を繰り返すあまりに、機械化されてしまった乗客たちが、ぎゅうぎゅう詰めで立っているのかもしれない。そんな逆転現象の妙味も踏まえて熟読すると、現代社会への批評性にも優れた一首だ。

自転車のチャイルドシートに葱大根野菊も乗せて日暮れを帰る

(館林 本川みや子)

 なんて清爽な作品だろう。子育てを終えた主婦の高揚感が、夕陽のあたる畦道に、まるで女子高生のように燦然と輝いている。前かごに入っているであろう、子どもたちはもちろんのこと、おそらくは作者も大好きな焼きまんじゅうと生クリーム大福さえ浮かんでくる。チャイルドシートに乗せたのは、ふつうであれば、葱、大根とくれば、次は菊菜か人参だ。しかし、三番目は食材ではない野菊だ。この思いがけないワードである野菊は、その可憐な美しさに惹かれて、帰路の自転車をわざわざ降りてまで摘んだのだろう。同じキク科の植物でも、コスモスやガーベラじゃだめだ。この下の句にはどうしたって愛しさと清々しさと逞しさが不可欠だ。そこには元来、愛しさに満ち溢れていて、清く逞しく育つべき我が子が乗っていたのだから。保育園までお迎えに行かなければならない日課から開放されたからこそ蘇った乙女心があまりにも眩しい。

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