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村弘氏穂の日経下段 #44(2018.2.10)

体調が良くないというイルカばかり応援してしまうイルカショー
(栃木 早乙女 蓮)

 作者の熱い眼差しは四、五頭いるイルカの中でジョニー(仮)だけに注がれている。そのジョニーばかりを応援する理由とは、弱い者に対する純粋な慈愛心だろうか。それとも、ちょっとダメなところがある男性を愛してしまうタイプの女性によくある事例の母性だろうか。はたまた、本番に弱い自分自身をジョニーに投影してしまったことによる親近感だろうか。いや、そうではなかろう。では作中の、良くない「という」及び、応援して「しまう」という二つのキーワードを含む文脈から本筋を読み解いてみよう。そこには、ほのかな推量や後悔の念が感じられる。それは【演技に失敗したジョニーの体調が良くないなんて、見え透いた言い訳なのは十分に判っているんだけれど、次こそは成功するようにと、やっぱり応援しちゃうんだよなあ】くらいの念だ。実際のところジョニーはメスのイルカのティナ(仮)やエリー(仮)に格好いい技を見せようと、張り切りすぎて失敗しただけだ。体調には全く問題がないのにドルフィントレーナーの優しいお姉さんが「今日はジョニーの体調があまり良くないみたいだからみんな許してあげてくださーい」と観客に言って庇ってあげているに過ぎない。プライドを傷つけまいとしてくれたその心遣いを察したジョニーは深く感謝して、さらに信頼関係が深まったりもするのだろう。その絆を強固にするがために作者は、サクラめいた行動を遂行してしまうのだ。ある意味それは犠牲心のようなものといえよう。ジョニーは一見スマートで、華やかな舞台の主役を楽しんでつとめているかのように見えてしまうが、実は行動エリアを制限され、狩漁本能を制御され、飼育という名のもとに支配されているに他ならないのだ。そんな境遇を憂慮して見事な演技をしているのが、まさに観客席の最前列のヒロインである作者なのではなかろうか。実際にはイルカと触れ合っていない読者までもが、不思議と癒されてしまうアニマルセラピーのような慈悲深い作品だ。



獰猛で知的な風の集団がニュースペーパー読み漁ってる
(古賀 砂山ふらり)

 地を統べる風が比喩比喩吹くようにこころ吐露吐露詠んだ作品。「風」と「ニュースペーパー」以外の全ての語句が比喩的に表現されている。読む者の推察欲を果てしなく引き出す類い稀な作風。実際には【九州の田舎に吹いた北風が西日本新聞をめくった】だけの殺風景なのだが、風来詩人独特の息吹を注いで日本経済新聞の詩歌欄にて文化的景観として蘇生したのだ。「獰猛」だったり「知的」だったりする風とは欧米諸国をはじめとした、我が国に脅威をもたらす諸外国のことだろう。新聞紙ではなくて「ニュースペーパー」と表記したことからもその意図が窺える。実際に「風の集団」と喩えられたそのような寒気団の突風が、近現代の日本経済を揺るがしているのだ。集団的自衛権の行使容認、環太平洋パートナーシップ協定、日米同盟、そして近頃のニューヨーク株式市場の暴落、米海兵遠征部隊の強化や平昌オリンピックの開催までもが我が国の未来に密接に関わっているのだ。そういった事案がその時々に及ぼす影響力を知るために、国家間で風の読みあいをしているのだろう。末尾の「漁ってる」からは島国である弱腰の日本が、強気の他国軍の恰好の漁場となってしまっている現状を憂う様子が浮かんでくる。海外のニュースに大きく左右される日本の近未来に大漁を招き入れるためには、やはり四方の海から襲い来る時流ともいえる、強かな風を読むしかないようだ。諦めに近い詩情がほんのりと結句のあとに漂っている。心情を吐露するフレーズを全く使わずに、文末の余韻として風鈴のように吐露する手法が心憎い。

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