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村弘氏穂の『日経下段』2017.4.1~

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土曜版日本經濟新聞の歌壇の下の段の寸評
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#短歌

村弘氏穂の日経下段 #60(2018.6.2)

村弘氏穂の日経下段 #60(2018.6.2)

虚ろなる化粧を終えて君のいない世界の風に晒すくちびる
(下野 海老原愛子)

 今すぐに此処でキスしてくれる君なき世におけるメイクの仕方。一行に漂う椎名林檎的哀愁が読後も離れない。君がいる世界といない世界では<私>の作り方が異なる。その例としてルージュの種類もメイクアップの方法も全く違うということだろうか。そして何より、気合が違うんだろう。君がいない世界では、ツルツルのプルプルの唇で勝負する必要が

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村弘氏穂の日経下段 #59(2018.5.26)

村弘氏穂の日経下段 #59(2018.5.26)

くるくると傘を回して飛び散った雨粒みたいに卒業をする
( 東京 やすふじまさひろ)

 くるくると回した傘は黄色くて持ち手には名前が書かれてた。いったい最後に傘を回したのはいつだったんだろうと今、ふと思い出してみたら遠く昭和まで雨垂れのように滑り落ちた。ぼくの場合は幼稚園か小学校の低学年だったと思う。まあ、女子高生あたりが肩のうしろでくるくる回してるくらいだったら可愛らしいけど、いい大人になってか

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村弘氏穂の日経下段 #58(2018.5.19)

村弘氏穂の日経下段 #58(2018.5.19)

ああ壁よ扉よ床よ天井よ 今日もひとりっきりをありがとう
(名古屋 古瀬葉月)

 この作品は、ひとり暮らしの小さな部屋で何もしなかった一日という読み方もできるんだけど、何かをした、もしくは何かをしようとした、という読解も可能だ。そのどちらだったとしても、結果として、何もふれあいがなかった一日ということだ。壁、扉、床、天井は部屋を出た先の建物にだって存在する。この一日に主体が何をしたのかは全く書かれ

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村弘氏穂の日経下段 #57(2018.5.12)

村弘氏穂の日経下段 #57(2018.5.12)

たまごかけごはんみたいな陽だまりの道路に銀色のおばあさん
(枚方 久保哲也)

 枚方の久保氏の欄に久方と書きそうだったほどに久しい。イギリスの絵本作家のような描写で詠い上げる久保氏のファンとして心待ちにしていた一首だ。それにしても、なんてやさしい歌なんだろう。目にする世界のあらゆる対象と愛情を経由して繋がりを持つ作者の本領発揮といったところか。ほぼ平仮名で綴られた上の句は、平坦で穏やかな春の日の

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村弘氏穂の日経下段 #56(2018.5.5)

村弘氏穂の日経下段 #56(2018.5.5)

営業で手にした名刺を怪人とライダーに分けホルダーに挿す
(東京 織部 壮)

 名刺を手にする機会っていうとほぼ初対面時だから、そうそう長い商談時間は設けられないだろう。つまり熟々とした本当の戦いは次回以降ということになる。営業戦士はそれまでの限られた時間内に戦略を練らなくてはいけない。その第一段階での、一目瞭然のファイリング術は大きな武器となることだろう。それは脈アリと脈ナシの仕分けか。それとも

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村弘氏穂の日経下段 #55(2018.4.28)

村弘氏穂の日経下段 #55(2018.4.28)

時間とはをんなのこゑにふりつもり光を消してゆくものと知る
(東京 本多真弓)

 ここには書かれていない『をとこ』を登場させて、まだ明るい寝室の長い枕に一首を置いて全体的に艶っぽく読ませてもらうこともできる作品なんだけど、想像が膨張しすぎて弾けて消えてしまったので、もうひとつ浮かんだもう少し真面目なほうの読みを公開します。ひとことでいえば時間の定義。だけどその独自の解釈による時間の概念の捉え方が至

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村弘氏穂の日経下段 #54(2018.4.21)

村弘氏穂の日経下段 #54(2018.4.21)

寄せる波風に吹かれる黄水仙君の鼓動の香りを放つ
(横須賀 新倉由美子)

 水仙っていう花の名前は水辺に佇む仙人のようだから付けられたらしいんだけど、ここではそれがさらに『君』に喩えられている。故に『君』がそれほど尊い存在であることが伝わってくるのだろう。黄水仙は匂い水仙なんて呼ばれたりもするくらいだから水仙よりもずっと強い芳香がある。植物でありながら動物的な匂いを強く放つ品種だ。そして『鼓動』と

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村弘氏穂の日経下段 #53(2018.4.15)

村弘氏穂の日経下段 #53(2018.4.15)

送られた写真に映り込む影の耳が長くてうさぎだと思う
(札幌 石河いおり)

 写りこんでいた影がいったい何であるのかも気になるが、メインの被写体が何であるかも作中では一切触れられていない。そうやって読者のイマジネーションをくすぐる技法だ。さらに誰なのか判らないが、誰かから送られてきたということは作者が写っているのかもしれない。もちろん野山で撮った草花の向こうに本物の野兎の影が映りこんでいたという可

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村弘氏穂の日経下段 #52(2018.4.8)

村弘氏穂の日経下段 #52(2018.4.8)

美容師の花粉症への怨念が鋏に移る春の散髪
(国分寺 西口ひろ子)

 花粉症に悩まされる美容師さんも気の毒だが、マスクの中に鬱積したその行き場のないルサンチマンが、あろうことか鋏へと流れ込むなんてお客さんもとんだ災難だ。スウィートの3月号に載っているうっとりカワイイ春の新作のニットの情報を読んでいると見せかけて、実際には上目づかいで鏡の中で暴れ狂う鋏の乱反射を追いかけていることだろう。頼んでもいな

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村弘氏穂の日経下段 #51(2018.3.31)

村弘氏穂の日経下段 #51(2018.3.31)

さば缶を開けてふたりで食べている昼に昔が押し寄せてくる
(つくば 岩瀬悦子) 
 
 さば缶であれ何であれ、開けなければ絶対に食べる事ができないのが缶詰なのだが、わざわざ二句目で『開けて』ふたりで食べている、と詠んでいるせいだろうか。流通している現代のさば缶のほとんどは容易に開けられる構造なのだが、缶切りを用いて開けたような趣がこの作品からは感じられる。ゆっくりと開けて、ゆっくりと食している情景だ

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村弘氏穂の日経下段 #50(2018.3.24)

村弘氏穂の日経下段 #50(2018.3.24)

あらゆる場所の矢印を反転させてふたたびきみにはじめてあいたい
(横浜 安西大樹)

 上の句の世にも奇妙なストーリーテリングが読者を惹き付ける。そのシチュエーションももちろんだが、『ふたたび』と『はじめて』が同居する矛盾めいた下の句も魅力的な作品だ。『再び』とは当然ながら一度目の経験に基づいて使われる言葉ではあるが、仮に記憶が真っ新な状態に戻れば初回と同様の感激が得られるだろう。それは初めて買った

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村弘氏穂の日経下段 #49(2018.3.17)

村弘氏穂の日経下段 #49(2018.3.17)

世界すべてが凍つた朝にきみの手がバケツのなかからすくふ満月
(見附 有村桔梗)

 20xx年、スノーボールアース現象に見舞われた地上で凍結を免れた個体が二つだけある。それが『きみ』と、それを見つめている作者だ。まるでサイエンス・フィクションの映画の感動的なラストシーンのようだ。バケツの中の液体ヘリウムに映る満月は、望月だから希望のメタファーだろうか。『きみ』がそれを掬い出すことは世界を救うことに

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村弘氏穂の日経下段 #48(2018.3.10)

村弘氏穂の日経下段 #48(2018.3.10)

ハンケチは週に三回かえろと言う百六十度違う考え
(東京 川良 傑)

 百六十度の差異とははたしてどのくらいなのだろうか。時計の針の六時を百八十度としたならば、五時五十五分くらいの位置だ。つまりは真逆にかなり近い考え方ということになる。しかし、ハンケチの交換サイクルに関してそんなにも違う考えなどあるのだろうか。週三回とは大きくかけ離れたハンケチの交換回数となると、三ヶ月に一回程度になってしまう。仮

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村弘氏穂の日経下段 #47(2018.3.3)

村弘氏穂の日経下段 #47(2018.3.3)

本町に車三台とまってて雪の帽子はみんなおそろい
(兵庫 みずのよう)

 神戸の本町のような決して雪国ではない地域で雪を目にしたときの感想は、子どもの頃と大人になってからでは明らかに違うだろう。妙にテンションがあがったり、寒さも忘れてはしゃいだりすることは年齢とともに減ってゆくはずだ。しかしこの作品は子どもごころに溢れていて、そこに高揚感を見出せる。三台の車を擬人化したり、積雪を帽子に見立てたりと

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