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「お元気そうで良かった」

自分の言葉が意図せずに相手を傷つけてしまうことがとても怖い。
たとえポジティブに聞こえる言葉であっても、時と場合によっては、人を傷つけてしまうことがあると知ってから、余計に言葉を発するのが怖くなった。

自分自身も、たくさんの言葉に傷ついてきた。
その言葉のほとんどは、私を傷つけようとして発した言葉でないことは理解している。
たとえば。私は、過去に死にたいほどに辛い時期があり、それでも外にいるときは笑顔でいるよう努めていた。毎日悩んで苦しくて、そんなときにたまたま同僚に言われた「吹由美さんって悩みなさそうだよね」という言葉は、毎日が辛くて死んでしまいたいという思いを必死にこらえていた自分には、とてもこたえた。

最近では「お元気そうで良かった」という、相手を思いやる時に多くの人が使うであろう言葉が、人を深く傷つけてしまう可能性があることを知った。
これまでの人生の中で、おそらく何度か口にしてしまっていると思う。
私自身もまた、知らない間に私が発した言葉で人を深く傷つけてしまっているのだ。実際過去に、意図せず傷つけてしまい、距離をおくことになった友人もいる。

悪気なく発した言葉のあと、相手の態度が少し変わったり、会話が微妙にとまったり、なんていうときは、「何か傷つけてしまったのかもしれない」と考え出してとまらなくなる。家に帰ってきてからも、その言葉を何度も反芻し、もしかしたらこう思われてしまったかも、こういう取られ方もできてしまう、ああ、言わなければよかったと、悶々と悩んでしまう。

そういう言葉があると知れば知るほど、自分から発する言葉が怖くなる。

誰も傷つけない言葉など存在しないとも思う。文章を書くからには、きっと、どこかの誰かを傷つけている。でも、それを恐れては何も書けない。
今は。少し、書くことが怖くなっている。

親しい間柄では、何気ない一言が、より深く相手を傷つけてしまうかもしれない。
遠くにいる知らない誰かが発した言葉ならば「わかってないヤツが変なこと言ってる」と流しやすいかもしれない。
となれば、「中嶋吹由美」としての私は、誰かと深い関わりを持たずに、粛々と文章を綴っていくのが一番良いのかもしれない、と最近思う。

書かなければいいではないか、と思われるかもしれないけれど、文章にして吐き出すことは、私自身の心を癒やす行為であり、救いになっている部分が大きいので続けていきたい。
もし、私の言葉で傷ついてしまった人がいたらごめんなさい。


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