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第3章 発展途上国の壁  15.魚の釣り方を教えるよりも、魚を与える

 アリサビエ職業訓練学校への初めての登校からの2日間は、慌ただしく、長いものだった。
 校長の熱意もよく分かったが、教育環境も大きな問題を抱えているのも分かった、人生初めての教師も務め、何より生徒達と打ち解けられたのがうれしかった。今では、生徒の顔を思い浮かべると、この子たちに良い未来を与えなければと奮い立たずにはいられない。
 しかし、あの何もないアトリエ。道具はおろか肝心の車もない。過去に揃えた道具は全て盗まれてしまったらしい。

「どうやって車の整備を教えたら……」

 夜、一軒家の宿舎でぼんやり考えていた。アフリカの夜は静かだ。夜空は満天に星を湛えている。私の悩みなど、この夜空からみたら、塵にもならないことだろう。
 ふと、アイデアが思いついた。
 
「行動を起こして問題になっても、何も変わらないはずだ。ならば、やってみるべきだ。やってみるか」
私は、心に決めた。

 休みの日、アリサビエから首都ジブチへ上京した。そこで、私は、実習車、実習用バイク、整備工具、教材を印刷するプリンターのインクなどを買い付けた。
 そして、何もなかった学校のアトリエに配置した。
 費用は、青年海外協力隊の給料の5-6カ月分に相当するほどかかった。これは寄付することした。他の青年海外協力隊のことは知らないが、派遣国でポケットマネーを出して実習車を買い、それをタダであげるなんてお人好しにもほどがあるかもしれない。
 JICAでは
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えなさい」
 というありがたいお言葉があるが、私は「魚の釣り方」でなく、むしろ、「魚を与える」選択をしたと思っている。
 なぜなら、その寄付した整備工具などは、いずれジブチ人たちに盗まれ無くなるからである。しかし、やらなければ何も始まらない。頭で考える選択の良し悪しでだけでは答えは生まれない。
 私はシンプルに考え、魚を与えようが、釣り方を教えようが、何よりも行動することを優先した。

「これいくらなんだ?」
 と先生や生徒達に聞かれたので答えると、「マジか」という表情で皆が目を丸くして凍りついていた。

 授業では実習授業と座学授業を交互に行う。
 まず、買った工具を使い、その工具の名称と使い方を説明する。次に車の部品名を覚えてもらう。
 また、手持ちのボロボロの教科書に記載されている内容を私が黒板に板書し、生徒がノートに書き写すといった授業のやり方をした。そうすることでコピーの必要もなくなった。

 与えた魚の味を知って、魚の釣り方に興味を持つようになれば、結果オーライだと思う。

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