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【書評】『白亜紀の風』佐藤モニカ歌集

海風のよき日は空もひるがへりあをき樹木に結ぶその端

とほき世に貸し借りをせしもののごと今朝わが肩に落つる花びら

ペットボトルのなかに弾ける泡がありそのひとつひとつなべて喝采

白き帆のしき表紙の本を置きそこより始まる夏と思へり

沖縄在住の作者の第二歌集である。
まず心惹かれるのは、作者のおおらかな世界の捉え方である。
気持ちのよい海風が吹く日に、空の一端を木に結ぶという美しい空想。
肩に落ちてくる花びらは、遠い時代に貸したものが返ってきたのではないかというふとした思い。
ペットボトルの泡のひとつひとつを喝采と感じる伸びやかな心。
自然溢れる沖縄で暮らす作者ならではの、ゆったりした世界観を感じる。
歌集全体を通しても過剰な表現はなく、
作者と共に緩やかな時間を生きているような気持ちになる。

秋天はやさしくひろく深きゆゑ白き脚もつ馬たちが行く

アスパラガス茹でつつ思ふ北の街駆けゆく春のながき両脚

風の尾の幾たびもふれ揺れやまぬ樹木見てをり窓の向かうに

猫はまたやはらかき島この家に三つの島のある昼下り

空へはすべて開かれ駆け抜ける風ありこれは白亜紀の風

作者の自然の受け止め方には独特なところがある。
空や季節そのものが動物のように脚を持って通っていったり
風に尻尾があったり、猫が島に見えたり、する。
特に「秋天」の歌は、秋空の下を現実の馬が歩いていくともとれるが
秋空自体が白い脚を持つ何頭もの馬となって過ぎていくような印象を受ける。
美しいイメージがどこまでも広がる歌だと思う。

開け放つ秋の扉のまぶしくて子は幾たびも旋回をする

唐突にかなしいといふをさなゐてその悲しみをいかにせむ母は

六月のわれと子の間を耀けりボトルシップのなかの海光

われも子もともに未来へ運ばれて午後の電車に微睡みてをり

作者は夫と、まだ幼い子供の三人家族。
子供の描かれ方もまた、ユニークだと感じた。
自分が守らなければ生きていけない弱き者、というよりは
子も個別の人格を持った一人の人間であり、親も子と共に成長しようという視点が強いといったらよいだろうか。
語彙や感情が増え、ふいに悲しいと言ったりする子供をうわべだけで慰めたりはしない。
そのまま受け止めて共に悩み、考える。
その作者のありようが素敵だと思う。

観光バス次々と過ぎわれもまた見らるる土地の一人となりぬ

「替はります」と手を挙げらるることなくてなければ長くこの島が持つ

二十年はたとせの長き時間をたゆたひてたゆたひやまず辺野古の海は

初夏の雷のの鳴り響き戦ひはありかつてこの地に

沖縄の基地のことなど、社会問題についても歌集の中で触れられているが、
直接的な訴えというよりは、思いを詩に託した形で差し出されている。
社会問題を世に問う方法には様々なアプローチがあると思うが
詩という形をとることで、読者の心により大きな気づきを生むこともあるはずだ。
静かな口調のこれらの歌を読んで、そのようなことにも思いを馳せた。
                   (2021/8 短歌研究社)

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