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下読みをやめた

純文学系の小説新人賞の下読みをしていた。していた、というのは、もうやめたからである。毎年お声がけいただき、いつも引き受けていたが、おととし、少し考えて、断ることにした。深い理由はない。ただ、その何年も前から、もう「文芸誌」はいいかな、という気持ちになっていた。

某誌を毎月送ってもらっていた頃は、根が真面目なので、あわせてほかの文芸誌にもひととおり目を通したりもしていたのだが、いつしか送られて来なくなり、ここ数年は、どれも手に取ることすらしなくなっている。率直にいって関心が失せた。たぶん加齢のせいだろう。

しかし思えば、いわゆる五大文芸誌に毎月律義に目を通すなんてことは、三十五の年になるまでしたことがなかったのである。自分は子供のころから小説を読むのがわりと好きなほうだったが、文芸誌でそれを読もうなんて気になったことは、ついぞなかった。つまり関心は失せたのではなく、もともとなかったのだ。

こんな自分ではあるが、学生の時分までは漠然と小説家になりたいと思っていた。実際、中二のとき、原稿用紙100枚くらいのSF小説(たぶん)を書いて、『SFマガジン』主催のSFコンテストに出したのを皮切りに、何度か新人賞に応募したこともある。どれも一次予選すら通らなかったけれども……。

ああそうか。

と、いまこれを書いている自分は気づく。

結局、自分にとって文芸誌とは新人賞のことなのだ。いまさら文芸誌への関心が失せたなんていうのは、ようするに新人賞への関心がなくなったということなのだ。

下読みは、数えたら13年もやっていた。原稿を送り返すときにコメントを作るから、パソコン上にデータが残っている。

最初の年は50篇担当した。それ以降は毎年100篇送ってもらっている。積極的に推したものではないが、受賞した作品もある(島口大樹「鳥がぼくらは祈り、」)。

自分が選んだ作品のタイトルは、一覧にして最後に示すことにする。

ちなみに、予選を通過した作品は、その題名、著者名が誌面に掲載されるのが通例だが、じつは一次選考通過作品については、全部の作品が掲げられているわけではない。

と、編集者の人から聞いた。

さて。

13年やって、強く推した作品が三つあった。その作者3人のうち2人は、そのときは受賞に至らなかったものの、のちにデビューを果たしている。でも残り一人だけ「世に出てない」。三次選考までは残っていたと記憶しているが、そこが突き当りだった。

この残り一人の存在を、先日ふと思い出したのだ。

作者名も作品名も伏せるが、原稿を送り返すとき、高評価とともに、自分は次のようなコメントを付けている。

高校生らの群像劇。3つのパートからなる(明示されていないが、最初と最後のパートは中央パートの作中人物が書いた物語と脚本)。透徹した言葉、リズミカルな文体、余白と飛躍のある文章が素晴らしい。さらりとしているようで内容は深く重い。

「深く重い」その内容はしかし、まったく覚えていない。

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