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「文学」のために

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「文学の可能性」を探っていくマガジンです。YouTube、文学フリマ、句会、映像化、Tik Tok、メンバーシップ等々、文学のために何ができるか考えていきたいと思っています。不定…
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モブキャラが一方的にライバル視する

よく漫画や映画の中で、主人公からはまったく相手にもされていないのに、一方的にライバル視するモブキャラが出てきますが、そんな児童文学世界(絵本、漫画も含む)においては、私がモブキャラで、主人公と言えば西野亮廣さんかもしれません。 ほんの少し前、児童文学の未来について文章を書いたのですが、この狭い世界の突破口を開いて(半ば強引に)、ひとつの可能性を見せてくれた第一人者が彼だと思っています。 ご存じのとおり「エントツ町のプペル」という絵本から始まって、映画化、ブロードウェイでの

仏教経典とはガンダムかもしれない

最近、仏教経典を読んでいる。歎異抄や、正法眼蔵、金剛法華経。 仏教徒ではないが、仏教思想(敢えて宗教とは言いません)にはずっと興味がある。 経典とは、簡単に言ってしまえば、釈尊の教えを書き残したものだが、それは長い年月を経るなかで、写経を通じて、多くの人たちに広まるにつれて、新しい解釈が生まれ、ときには別バージョンが生まれ、道教やヒンズー教なのどの、他の思想すら取り込まれていく。 そして、その中で、釈尊の教えに忠実なものかどうかや、正しいか正しくないかは別として、矛盾箇所

小説家はYouTuberになれるのか。

最近、さまざまな分野の方が、YouTubeに参加してきています。お笑い芸人、ミュージシャン、伝統芸能をやっている人、科学者や、メイクのプロ、料理人。 しかし、ほとんど見かけないのが、画家や、小説家かもしれません。 たぶん、「小説家は作品だけで勝負すればいいんだ」という信念が強そうな人が多そうですが、そもそも映像とは親和性が低い気がします。 先日、高橋源一郎さんが、YouTubeで、公園のベンチに座り、自作の朗読をする動画がありました。私はもともとファンだったのもあります

本のライバル

そもそも本というものにライバルがあるのかと言われればそのとおりですが、時間を費やすという意味で、ライバルは存在します。例えば、テレビ、映画、ゲーム、SNSなどがそうでしょう。エンターテイメントの全般と言ってもいいのかもしれません。 テレビが普及し始めたとき、本の強敵が現れたと言われました。読書の時間が大幅に奪われると。やがて、本当にテレビのせいで本を読まなくなったとさえ言われました。そして、その次に現れた大きな敵と言えばテレビゲームでしょう。 そして、最近になって現れたの

役に立つ情報なんてないけれど

かなり昔に読んだ、アフィリエイト入門の本には、とにかく読者にとって役に立つ情報を書きなさいとありました。それを毎日、書き続ければ、ある時バズる時が来て、そこからある程度の収入が見込まれるようになると。すでに、アフィリエイト全盛の時期も過ぎても、この鉄則は揺るいでなさそうです。 そもそも不思議なのですが、みんなに役に立つ情報って、人はそれほど持っているものなのでしょうか。少なくとも私は特に持っていません。そして、多くの勤め人がそうであるように、お金を稼ぐためだけの仕事は早く辞

ツイートとコピーライティングの相似性

ツイッターとかを見ていると、時々、天才かと思うような面白いツイートをしている人を見かけることがあります。 興味本位で真似しようとしても、とてもできそうになく、スタイルだけをまねてももどうしても気が抜けた、冴えない感じになってしまいます。もしくは、どこか鼻につくような。 かといって、政治、経済、社会情勢についての話題を、正面からツイートできる見識も知識もないので、ツイートする勇気もありません。それに、反論されたらおろおろするでしょう。 その昔、ツイートの文字数は限られてい

児童文学の未来

長らく児童文学を書いてきたのですが、小説を書き始めた頃は、まさに純文学一本勝負といった感じでした。 しかし、なかなか芽が出ずに、ある人から「児童文学の方が向いている」と言われて、あっさり転向しました。今でも、純文学を書いてはいますが、メインはあくまで児童文学です。 ただし、ご存じのとおり、文学でも食えていかれないのに、児童文学はなおさら食えないカテゴリーだと言われています。つまりは、レッドオーシャンです。 というのも、児童文学は絵本と同じく、大人の本に比べて、定番が圧倒

遥かかなたの芥川賞

昔は、芥川賞や直木賞と聞くと、数ある文学賞の中でも特別な賞だという印象がありました。それこそ、年二回の発表があるときには、新聞やテレビで大々的に発表され、受賞者は一夜にして有名人になったぐらいです。 しかし、今では、一年前の受賞者は誰だかわからないといった、隔世の感を禁じ得ない状況となっています。 もともと両賞は、文藝春秋社を創立した菊池寛が作った賞だと言われています。年二回の賞があるのは、商売の世界では「にっぱち」と呼ばれる、2月と8月の不振の月の対策のためでした。