仲村比呂(nakamura hiro)

小説家です。主に小さな子から楽しめる物語を作っています。文学は儲からなくとも最強です。…

仲村比呂(nakamura hiro)

小説家です。主に小さな子から楽しめる物語を作っています。文学は儲からなくとも最強です。最新刊は「虹の予報官」 https://amzn.to/44BfMGY

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  • もろもろの感想文

    本や、映画や、音楽など、ほんとうに趣味的、偏愛的な感想文です。

  • 読ませていただきました

    面白くて刺激(創作意欲)を受けた記事を集めてあります。

  • ふと思った日記

    ふと思ったことを綴った日記です。ほとんど「むにゃむにゃ」という独り言です。へぼ俳句もついてます。

  • ちょこっと漫画 口ぱかちゃん

    いつも絵をお願いしている 絵本作家 やのかつえさんの漫画です。ほっと息でもついてください。

  • 「文学」のために

    「文学の可能性」を探っていくマガジンです。YouTube、文学フリマ、句会、映像化、Tik Tok、メンバーシップ等々、文学のために何ができるか考えていきたいと思っています。不定期更新です。

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電子書籍版 第二弾「虹の予報官」刊行

ようやく、電子書籍化第二弾として、「虹の予報官」を刊行することができました。 この作品は、初めて子供向けに書いた小説で、2015年の講談社児童文学新人賞に応募して、一次予選を通過した(ネットで検索すると出てきます)作品を大幅にリテイクしたものです。 あらすじとしては、虹を予報することが得意な男子が、ひょんなきっかけから、町に訪れる危機を知り、バイキングを目指す親友とともに解決すべく奮闘する、ある意味ベタな冒険モノです。 同時に、気弱でいつも自分に自信がなかった主人公の成長

    • 伊集院静さんが逝く

      作家の伊集院静さんが亡くなられました。 「大人の流儀」を読むのを楽しみしていました。 私とは、まったく違う生き方をする人だなあと思って、どこか羨望の眼差しに似たものを感じることもありました。 たぶん、へたれの自分には、「大人の流儀」なんていう題名がついた骨太の本は一生出すことはないでしょう。 出せるとしたら「弱さなりの流儀」ぐらいかな。 そして、珠玉のエッセイの中では、特に愛しい人が亡くなったときどうするか、その向き合い方、意識の変え方、そして人生への活かし方を教わった

      • 11月18日(日記)日記について考えてしまい手が止まる

        どんよりとした曇り だんたん、書評とか追悼の文とか、感銘を受けた物事を紹介する文が書けなくなってきた。 というより、書きたくなくなってきた。 敢えて自分が書かなくても、このNote始め、世の中多くの人が的確で優れた書評を書いていらっしゃる。 自分は本当にただの印象とか、うろ覚えの記憶を辿って書くから、後から読んで違っていると思うことも多くなった。それだったら、アマゾンのレビューでいいのかもしれない。 そうなると、Noteってなんだろうと思ってしまうのだが、ブログって何?

        • ちょこっと漫画 口ぱかちゃん第4回

          作 やのかつえ

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          11月12日(日記)戦争を学ぶ

          急に寒くなった。 こんなに急激だと、身体が付いていかない。 普段、スポーツ中継以外には、テレビはめったに見ないのだが、たまたま付けたとき、新たに始まった戦争関連のニュースをやっていた。 「平和」、「少しでも早く訪れて欲しい平和」、「平和の希求」。司会者を始めコメンテーター全員が異口同音に同じ事を言っていた。 しかし、そんなことは誰でもわかっていることでもある。平和が素晴らしいことを。命が暴力で奪われることがひどいことも。 平和の姿というのは、天国や極楽と聞いて思い浮か

          11月12日(日記)戦争を学ぶ

          10月29日(日記)水墨画をやろうかな

          晴れ 昼下がり、秋の日差しが作るベランダの観葉植物の影を眺めていたら、急に情趣が湧いてきて、何だか無性に画(絵)を書きたくなった。 しかし、自分は何しろ画が下手で、テレビで「絵心ない芸人」などをやっているが、家族からも、もし番組があれば「絵心ない小説家」として、充分出られる資格があると言われてきた。 真剣に描いたのに、出来上がりを見せると必ず笑われてしまう。今でも、犬や馬を書いてみろと言われたら、みんな同じロボットのような絵になってしまうだろう。 そんな自分でも、絵画を

          10月29日(日記)水墨画をやろうかな

          10月22日(日記)いつもように瞑想して

          朝起きるとかなり寒い。 秋を感じたのか、夜明け前に突然物寂しくなって(時々ある)、こういう時に手に取る川端康成の「美しい日本の私」(ちなみに「美しい国へ」ではありません)を読み返す。 道元、西行、芭蕉、一休、明恵、良寛、ここで挙げられた日本の美を言葉で体現した人たちは、考えてみればほとんどが禅僧だ。 普段から、何事も短い言葉で簡単に言ってしまうのは、乱暴な行為だと思いながらも、美しさとははかなさ、あわれだとするならば、極言すれば「無いこと」になってしまう。則天去私、つまり私

          10月22日(日記)いつもように瞑想して

          ちょこっと漫画 口ぱかちゃん 第3回

          作 やのかつえ

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          遙かすぎて見えない、大江健三郎さんが逝く

          大江健三郎さんが亡くなりました(すみません、亡くなってからだいぶ時間がたっています。アップしたつもりが下書きのまま忘れていました)。 これまで、本屋さんで目にするような作家の本は、食わず嫌いでも最低限一冊は読むようにしているのですが、実は、大江健三郎さんだけは、一冊も読んでいません(エッセイは別)。 最初に、高校生の時に読んだのですが(題名は思い出せない)、文章が難しすぎて(ファンはその文体こそがいいと言いますが)、見事に挫折しました。 小林秀雄も「文章というものには稚

          遙かすぎて見えない、大江健三郎さんが逝く

          10月4日(日記)野草を知りたくなった

          最近、朝の連ドラに影響を受けたわけではないが、散歩していて、そこらに何気なく生えている野草が気になるようになってきた。どういう名前で、整体は、食べれるのか、薬効があるのかその正体を知りたくなったのだ。 ただ、その昔、近所の草刈りをやっていたときにかぶれてしまい。入院する瀬戸際までひどくなった経験があり、それ以来野草というのが、触るだけではなく、見るのも苦手になった。   野草というのは、考えてみればかわいそうな存在で、野草という呼び名なら、まだましな方で、雑草の一言でかたづ

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          坂本龍一著「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み終えて。

          まず凄いなと思ったのは、教授という人は、癌を患っていたと思えないほど、亡くなる直前まで、常人でも抱えきれないほどの、いくつかの大きなイベントや、音楽活動をこなしていましたこと。そして、死ぬ当日までのことが詳細に記述されていたことです。 自分の葬式で流す、音楽のセレクトまでも済ませていたというのも初めて知りました。そういったことは、ネットの記事だけ読んでもわからないことでした。 山田風太郎の奇書「人間臨終図鑑」をなどを読むと、有名人というのは、わりに死ぬ直前の記録は残ってい

          坂本龍一著「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読み終えて。

          9月24日(日記)俳句を忘れて

          最近、へぼ俳句(自由律俳句を含む)をめっきり作っていない。 というか、作れていない。 やはり、気分がハイテンション過ぎても、ローテション過ぎても、俳句をひねるって難しくなるかもしれない。 自分としては、心は平穏だけど、どどこかセンチで、感傷的な気分。そんなとき、外界の景色や、心象風景にふと心が動いたとき、俳句を作ろうかなというか、作りたくなる。 だから、ずっと部屋や宿などに籠もっていたり、一つのことに悩んでいると、俳句って出てこない。松尾芭蕉や与謝蕪村が旅をし続けたのは、

          9月24日(日記)俳句を忘れて

          ちょこっと漫画 口ぱかちゃん 第2回

          作 やのかつえ

          ちょこっと漫画 口ぱかちゃん 第2回

          映画「君たちはどう生きるのか」を観て

          この質問、答えるのはたいへん難しいですね。私もそこそこ長く生きてきましたが、この歳になってもさっぱりわかりません。 迷いに迷って、日々おののきながら生きてきました・・・。それが生き方といえは、生き方でしょうが。 逆にはっきりこうだと、決められる人はすごい人なんだなと思います。 といった感じで、前知識なく映画を観に行ったわけですが、映画を観ている最中に、「生き方」みたいなことなど、そんな難しいことを考えてしまわないか、ヒヤヒヤしながら見始めました。 しかし、それは杞憂に終わ

          映画「君たちはどう生きるのか」を観て

          文学に疲れたとき

          哲学者池田晶子さんが言っていたように、 サルと違う人間の本質は、悩むことでない、「考える」ことである。 なぜ、自分が存在するのか、なぜこの意識があるのか、考えに考えて、自らを見いだし、自らを超克することだ。 その試みは、哲学も文学も似たような目的を持つのかもしれない。 文学を娯楽にどどめるだけでなく、崇高なものになり得るとするならば、人類が自らを見いだし、超克するための「物語」、言うなれば新たなる神話を作り得るからかもしれない。 聖書も、コーランも、仏教典も、ある意味一

          文学に疲れたとき

          ときどき無性に詩を書きたくなる

          ときどき、無性に詩を書きたくなる。 それは、ふいに訪れる強烈な衝動である。ただし、若い頃ほど頻繁には起きなくなった。 ともかく、本当に突然に襲ってくる。 ちなみに、詩人になりたいとは強く思ったことはない。才能がないと言ってしまえばそれまでだが、過去の詩人の作品を読むと、とても彼らを超えられるような作品が書けるとは到底思えないからだ。それだけ、詩というのはちょっと特殊な能力が必要な気がする。 削って削って(神経も)、感覚を研ぎ澄ませて研ぎ澄ませて、一語一語を積み上げていく

          ときどき無性に詩を書きたくなる