モブキャラが一方的にライバル視する
よく漫画や映画の中で、主人公からはまったく相手にもされていないのに、一方的にライバル視するモブキャラが出てきますが、そんな児童文学世界(絵本、漫画も含む)においては、私がモブキャラで、主人公と言えば西野亮廣さんかもしれません。
ほんの少し前、児童文学の未来について文章を書いたのですが、この狭い世界の突破口を開いて(半ば強引に)、ひとつの可能性を見せてくれた第一人者が彼だと思っています。
ご存じのとおり「エントツ町のプペル」という絵本から始まって、映画化、ブロードウェイでの舞台化と、着実にそして実はとんでもないことを成し遂げてしまっています。
その手法については、毀誉褒貶いろいろ言われていますが、私としては、それは結果としての作品の受け手が考えることだと思っています。
そうしたたくさんのアンチからの批判などものともせず、目の前の未踏の地をひたすら切り開いていく姿に、ある種の憧れと勇気をもらっているわけですが(別に彼の信奉者ではありません)、とこでなぜ、勝手にライバル視をしているかというと、西野亮廣さんがよく、「ディズニーを超える」とおっしゃっているのに、ピンと反応してしまうからです。
それは、私がまだ今よりずっと若く、ただの世間知らずの小僧だった頃、酔っ払ったときの口癖でもあったからです(当時、かなり呆れられていた)。
ただし、厳密に言うとまったく同じではありません、決定的に違うのは、「超える」とは言わずに、あくまで「日本のディズニーになりたい」と言っていたことです。
そこだけでも、格というか覚悟が違うのが明らかですね・・・。
夢の大きさで、その人のキャパが決まってくると言うのは、本当のことかもしれません。
それと、少し本筋からずれまずが、この前西野さんが読んだツイートで、気になることをおっしゃっていたので引用します。
「子供だまし」と、「子供向け」。だから私も、あえて児童文学作家とは名乗らずに、小さい子から読める作品と銘打っている理由にもつながっています。
こんなこと書いて、笑われるのを覚悟で、いちモブキャラとして児童文学の世界を盛り上げたいと思っている自分としては、勝手にライバル視しているわけです。
ただし、本音で言えば、ライバルと言うよりも、本音で言えば死ぬ気になって自分の作品を世の中に出そうとする姿勢に、ただただリスペクトの気持ちを抱いているだけかもしれません。
ここまで言うと、何を大げさでと思われるでしょうが、彼には本当にウォルト・ディズニーすら超えて、大谷選手のように、ある一つの世界の価値観を根本的に変えてしまうような人になって欲しいと思っています。
それに、お金と夢について書かれた新刊も売れているみたいですしね(少しだけ嫉妬)。
ではまた
夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com