中原紀生

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ペルソナ的世界【6】

【6】“これ”と“あれ”の通底─クオリアとペルソナ・又  クオリアとペルソナの「関係」をめぐって、入不二基義著『問いを問う──哲学入門講義』第3章「どのようにして私たちは他者の心を知るのか?」から、関連する個所を摘出します。 1.運動としてのクオリア 〇味覚の例で言えば、意味・概念の水準とは区別された、直接経験の水準での「味わい」が、味のクオリアである。「甘さ」と名指されている味が、自分にどのように直接感じられているか、その質感を「クオリア」と呼ぶ。(112頁)  意味

    • ペルソナ的世界【5】

      【5】感覚質・体験質・人格質─クオリアとペルソナ・続々々  クオリアの働きを「情報の圧縮」と見る茂木健一郎氏の議論は、ベルクソンの「凝縮説」[*]に通じています。平井靖史氏は『世界は時間でできている──ベルクソン時間哲学入門』において、ベルクソンのこのアイデアを精錬もしくは拡張しています。以下、その第1章「時間で解くクオリアの謎──物質の時間と意識の時間」から、関連の個所を抜き書きします。 ○ベルクソンの哲学は、マルチスケールというあり方を人類史上初めて本格的に組み込

      • ペルソナ的世界【4】

        【4】モーツァルトとシューベルトの垂直的邂逅─クオリアとペルソナ・続々  茂木健一郎氏は『クオリアと人工意識』において、クオリアの働きは「情報の圧縮」にあると書いています。それはたとえば、文章・発話・楽曲における全体の「構想」や「姿」のようなものとしてとらえることができます。 「モーツァルトは、作曲の際、曲全体の有機的な構成を一つの「クオリア」として意識の中で把握し、それを作曲行為の中で「展開」していったのだろう。多くの情報を圧縮して意識にのぼらせることのできる「クオリア

        • ペルソナ的世界【3】

          【3】万物ことごとくが神であったころ─クオリアとペルソナ・続  前回、呈示した「クオリア=ペルソナ」なる“奇怪”な概念について、私には、ある確たるイメージがあります。確たるといっても、それは例によって、先賢の肩の上に立ち眺め見てこそのことです。福田恆存訳、D・H・ロレンス著『黙示録論』第9章の冒頭に、その一文は綴られていました。  かつて、中公文庫版(『現代人は愛しうるか』のタイトルで1982年刊行)でこの訳書を入手し、なにか途方もなく深甚な思想が、これ以上は望めない達意

        ペルソナ的世界【6】

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        • ペルソナ的世界
          6本
        • 文字的世界
          35本
        • 「私」がいっぱい(パート1.5)
          22本
        • 仮面的世界
          35本
        • 韻律的世界
          35本

        記事

          ペルソナ的世界【2】

          【2】クオリアとペルソナ、どろどろしたものから生まれる個物  英語に“from soup to nuts”という慣用句があります。実際に使われる場に居合わせたことはないのですが、コース料理がスープに始まりデザート(ナッツ)で終わることから、「始めから終わりまで」とか「何から何まで」といった意味になるようです。  私はかつて、この言葉を使って、次のような文章を、養老孟司編『脳と生命と心』に対する“書評”として書いたことがあります。  ……脳や生命や心をめぐる現象と認識につい

          ペルソナ的世界【2】

          ペルソナ的世界【1】

          【1】ペルソナ、豊かな倍音を響かせる意味のポリフォニー  探究を始める前に、ペルソナというテーマの個人的な“出自”について、確認しておきたいと思います。  かつて、仮面の原器としての顔をめぐる文献を渉猟した際、坂口ふみ著『〈個〉の誕生──キリスト教教理をつくった人びと』第2章「ヒュポスタシスとペルソナ」の議論を援用したことがありました(「仮面的世界」第7節)。  坂口氏はそこで、「ウシア」(実体、ラテン語訳:essentia)や「ピュシス」(本性、同:natura)と並べ

          ペルソナ的世界【1】

          文字的世界【35】

          【35】声の文化と文字の文化・その他、後口上として  『枕草子』(ピーター・グリーナウェイ監督)の映画パンフレットをはじめ、文字特集を組んだ『ユリイカ』(1998.5)や『批評空間』(1993 No.11)等々の多くの手元にある素材を活かすことができないまま、「文字的世界」を閉じることにします。  石川九楊氏の文字論その他の文献、たとえば『プラトン序説』(エリック・A・ハヴロック)や『プラトンと反遠近法』(神崎繁)等々、そしてなによりジャック・デリダの著書を主題的に取りあげ

          文字的世界【35】

          文字的世界【34】

          【34】詞辞論をめぐって──柄谷文字論4  柄谷文字論の射程は広く、かつ深いものがありますが、今の段階ではその全貌を見渡すに力及ばず、漢字仮名交用に由来する「詞辞論」をめぐる議論の摘録をもって、とりあえずこの話題を終結させます。  これはずいぶん先走った話になりますが、いま強烈な関心を寄せているのは、日本語文法と日本の思想との関係、いやもっと一般的に、そもそも文法と思考(物思いや漠然とした感じを含めて)との関係はどうなっているのか、といったことです。その手始め、というか手が

          文字的世界【34】

          文字的世界【33】

          【33】漢字仮名交用をめぐって──柄谷文字論3  柄谷文字論は、たとえば言文一致のように古代と近代、洋の東西を問わない“普遍”的な事象と、漢字仮名交用のように日本固有の“単独”性をもった事象とを峻別すること、そしてそれらの対を、非歴史的で“一般”的な事象(たとえば文法)とその特殊で“個別”な形態との関係と混同しないこと、この二点が、文字の分析にあたっての(あるいは柄谷行人の思考そのものの)方法的基軸となっています[*1]。 3.漢字仮名交用の問題─日本的なもの ◎日本で

          文字的世界【33】

          文字的世界【32】

          【32】意識をつくる言語、意識がつくる言語─余録として  エクリチュールと声、漢字と仮名の関係をめぐって、個人的な関心事にそくした一文を余録として挿入する。個人的関心事とは、紀貫之の歌論(古今集仮名序「やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとぞなりにける」)の解読、貫之歌の世界をどうとらえるかというもの。  以下に自己引用するのは、神田龍身氏(『紀貫之──あるかなきかの世にこそありけれ』)と山田哲平氏(「日本、そのもう一つの──貫之の象徴的オリエンテイション」

          文字的世界【32】

          文字的世界【31】

          【31】言文一致とナショナリズム──柄谷文字論2  明治‐大正‐昭和とつづく近代日本に起きた出来事は、奈良‐平安‐江戸へ至る古代日本の出来事とパラレルです。それは、言文一致による、世界言語(文字)の翻訳を通じた新しい「文語」の創造がもたらした──あるいは、言文一致運動推進のイデオロギーとしてはたらいた──音声中心主義の転倒性において、そして、江戸期の国学がはらんでいた近代ナショナリズムへの傾斜と、昭和ナショナリズム(日本浪漫派、ファシズム)とのアイロニカルな(?)関係性にお

          文字的世界【31】

          文字的世界【30】

          【30】言文一致と音声中心主義──柄谷文字論1  “柄谷文字論”は、複数の論文にわたって展開されています。ここでは、『〈戦前〉の思考』(1993年)所収の「文字論」を基本テキストとして、「言文一致」と「漢字かな交じり文」(柄谷の表記では「漢字仮名交用」)をめぐる議論の概略を抽出し、適宜、他の論考によって補うことにます。 (言文一致については、「仮面的世界」の第14・15節で『定本 日本近代文学の起源』における議論を一瞥したことがある。そこでは、柄谷文字論についていずれ「文字

          文字的世界【30】

          文字的世界【29】

          【29】表層の意味語が深層の機能語によって下支えされる関係  第26節から前節まで、ほとんど三浦雅士氏の議論の祖述、というより、ほぼ丸写しのかたちで叙述してきました。なにも付け加えるべき知見も見解も持ち合わせていなかったからです。  ここでいったん、これまでのことを“総括”しておきたいと思います。便宜上、文字の誕生(垂直的体系の成立)、象形の体系から形声の体系への移行を経て、表意文字の表音文字への転化(水平的体系の成立)へと至る過程を三段階に区分し、それぞれに三浦氏の言葉を

          文字的世界【29】

          文字的世界【28】

          【28】象形から形声への飛躍、鏡像段階─白川文字学4  問題は文字という現象そのものに潜んでいる。三浦雅士氏は「起源の忘却──グラマトロジーの射程・ノート2」にそう書いています(『人生という作品』71頁)。ここで言われる「問題」とは、「文字は呪的な行為がさかんに行なわれた時期に、その儀礼の必要に応じて成立した」(61頁)ことが、つまり文字の起源が「忘却の淵に沈んだ」ことにほかなりません。  三浦氏は、白川静の『説文新義』「通論篇」を読み解き、いわゆる六書をめぐる白川の考えを

          文字的世界【28】

          文字的世界【27】

          【27】声と文字の捩れ、文字現象学─白川文字学3  白川静は、良くも悪くも、詩人であった。──三浦雅士氏は「白川静問題──グラマトロジーの射程・ノート1」の最後のパラグラフを、そのような言葉で書き始めています。あたかも古代人であるかのように、縦横無尽かつ断定的に漢字の起源を語った白川静、その学説の芯を形成したのが、卜片のトレースから筆耕、油印という身体的修練によって獲得した「飛躍すなわち詩的直観とでもいうべきもの」(50頁)であったことを踏まえての評言です。  このことは、

          文字的世界【27】

          文字的世界【26】

          【26】アウラ、対象化、俯瞰する眼─独在性と文字・続  前回、独在性の概念と文字の関係について書いたこと──〈私〉や〈今〉といった独在的存在は文字発明の産物だったのではないか──に関して、若干言葉を補います。というか、言葉遣いを正します。  文字発明というときの文字は、永井哲学オリジナルの山括弧(二重否定)の記号が付いた〈文字〉ではなく、日常的・公共的・客観的言語における「文字」のことです。より精確に言えば、(アクチュアリティの圏域における)独在性そのものにかかわる〈文字〉

          文字的世界【26】