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スペインの政治家、「EU皇帝」導入を提案 神聖ローマ皇帝を意識(2015年)

はじめに

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サライェヴォ事件(1914年)

 サライェヴォ事件――オーストリア=ハンガリー二重帝国皇嗣フランツ・フェルディナント大公の暗殺事件――に端を発した第一次世界大戦により、四つの帝国が世界地図上から姿を消した。

 最初にロシア帝国が、続いてドイツ帝国オーストリア=ハンガリー二重帝国が、そして数年遅れて最後にオスマン帝国が崩壊したという流れだ。

 これらの帝国の消滅をもって、国際社会に認められたヨーロッパの君主としての「皇帝」はいなくなった(※イギリス王が1948年まで「インド皇帝」を兼ねていたが、これはいうまでもなく欧州君主としての称号ではない)。

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戦間期のヨーロッパの地図(1923年)

 しかし、その後も国内において「皇帝」に相当する称号を使用する君主は残存していた。

 対外的には「王」が用いられていたものの、ブルガリア王はローマ皇帝や東ローマ皇帝の称号「カエサル」に由来する「ツァール」を、ギリシャ王は中世東ローマ帝国において皇帝の称号として使用されていた「バシレウス」を国内向けに用いていた。

 それらを「皇帝」と翻訳するのであれば、ヨーロッパにおける最後の皇帝は、1946年に廃されたブルガリア王シメオン2世ないしは1973年に廃されたギリシャ王コンスタンティノス2世ということになろう。

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ギリシャ王コンスタンティノス2世(1964年撮影)

 かつて「皇帝」が君臨していたヨーロッパの国々――フランス、ロシア、ドイツ、オーストリア、ブルガリア、ギリシャなど――には、今もなお帝政復古を主張する君主主義者が多かれ少なかれ存在する。

 しかし、現代のヨーロッパにおいて、まさかこのような形態での「皇帝」復活を求める声が出てこようとは――

「ヨーロッパ皇帝」構想

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