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【愛知県の皇室伝承】7.「矢作川」の地名起源譚:日本武尊の矢作りを助けた蝶々(岡崎市)

矢作川の地名由来伝説

 矢作川やはぎがわ。愛知県岡崎市を流れるこの川に架かる矢作橋には、日吉丸ひよしまると小六正勝――後の豊臣秀吉と蜂須賀正勝――がここで初めて出会ったという伝説があり、その橋畔きょうはんには「出合之像」と題する二人の像が建立されている。

 そんな矢作橋の東側から矢作川に臨むと、向こう岸にこんもりとした茂みが見える。地名も何も冠さない八幡宮ならびに矢作神社の鎮守の森である。

矢作橋(愛知県岡崎市)の東側から矢作川に臨む
「郷社矢作神社」と彫られた社号標

 矢作神社の境内には、第二次世界大戦のさなかの昭和十八(一九四三)年に「皇紀二六〇〇年」を記念して作られた、そのご武勇で知られる古代の皇族・日本武尊やまとたけるのみことのご陶像が立っている。

日本武尊のご陶像

 こういうものが存在する理由は、秀吉と蜂須賀正勝の伝説のみならず日本武尊の古伝説もこの一帯に残されているからに他ならない。その伝説とは、次のようなものである――。

 景行天皇の四十年冬十月、荒ぶる神々や東夷の平定のための旅に出ていらっしゃった皇子・日本武尊はこの付近で、矢作部やはぎべ(※大化以前に矢の製作に従事した部民)に、戦いに備えて矢を作れとお命じになったという。それというのも、洋々として流れる広大な川(※今日の矢作川)の東方にそびえる高石山に、賊どもが根城を構えて、地元の人々をしばしば苦しめているとお聞きになったからである。
 矢作部の人々は、大きな川の中洲に、矢にするのにちょうどよさそうな竹が生い茂っているのを見つけた。しかし、その川は流れが速かったので中洲に渡ることができなかった。

今日の矢作橋付近の中洲

 その時、どこからともなく蝶が一双、舞って来たかと思えば、あっという間に人間の姿に変化した。蝶々は、中洲中の竹を伐採して集めてきて、矢作部と同じように矢作りに加わった。一夜のうちに一万本の矢を作り終えた。この思いがけない援助に人々は大いに勇気づけられた。この不思議な出来事から、人々はやがて付近を「矢作」と呼ぶようになった――。

暮戸くれどの地下道の壁画「矢作りの里」

 さて、今日の矢作神社には拝殿の近くに「矢竹やぶ」という場所がある。日臣下たち臣下たちがかつて矢を作るための竹を取った名残として、数十本の小竹が保護されているのである。なお、矢作神社から二キロメートルほど北方に鎮座する長瀬八幡宮でも、同様にして数十本の竹が保護されている。

「矢竹やぶ」と「うなり石」

 矢作川の畔では、明治元年九月二十八日そして同年十二月十六日の二回、明治天皇がご休憩になった。今日、矢作橋の西側の橋畔きょうはんには、皇紀二六〇〇年記念として「明治天皇御駐蹕ちゅうひつ之所」の碑が立っている。

記念碑「明治天皇御駐蹕ちゅうひつ之所」

 川の流れをご覧になりつつ、明治天皇はきっとご先祖とされる日本武尊に思いをお馳せになったことだろう。

市内にある他の伝承地

乙川

 岡崎市の中心部を流れる乙川おとがわ。この川を流れる清き水そのものと爽やかな水音を、日本武尊はたいそうお愛でになって、ここで「音見(乙見)の皇子」という皇子をお儲けになったそうだ。

菅生神社

 そんな乙川の畔に鎮座している菅生すごう神社もまた、日本武尊ゆかりの地である。

菅生神社、参道前にて

 人皇十二代景行天皇の御代(西暦一一〇年)日本武尊東国平定の為当地御通過のみぎり、高岩にて矢を作り給い乙巳を小川に吹き流し給う。其の後矢を御霊代と仰ぎ伊勢大神を鎮祭し吹矢大明神と称するに葆り岡崎最古の神社なり。(後略)

菅生神社の由緒書き

岡崎城

 江戸幕府の開祖・徳川家康公がお生まれになった城、岡崎城(別名「龍城」)。伝承によるとその所在地は元々「霧降山」と呼ばれていたという。

岡崎城の在りし地は、もと霧降山と呼んだ。古松老杉轟々と聳え茂れる中に、千古せんこ碧水へきすいたたへたる井があり、煙霧不斷に此上に靉靆あいたいきてひるなほ暗く、時に梢をわたり枝をつゝんで全山霧に覆わるゝやうの事あつた。傳へて云ふ、この井に龍ありて住み、折々出でゝ乙川の淸流に游浴す、黑雲渦卷いて龍身をつつみ、水奔騰ほんとうして物凄き事云ふばかり無しと。

『岡崎市史 第八巻』四七四ページ

「霧降山」とは、ここをお登りになった日本武尊が、濃霧が降っていたのを目の当たりにされてそうご命名になったそうだ(『稲前神明社由緒書』)。

日本武尊東夷御征伐の時、菅野に御逗留、高山に登らせ給ふに、霧深く降りければ、此山をきり降山と名付給ふ云々。

『岡崎市史 第八巻』四六七ページ

白鳥神社

 岡崎市大西に鎮座する白鳥神社は、日本武尊が東征の折にご逗留なさった跡地であり、日本武尊が薨去されてから程なくして創建されたという。

【参考文献】
『岡崎市史 第八巻』(一九三〇年)
・丸山林平『校注 古事記』(武蔵野書院、一九七〇年)

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