元号と天皇の追号の関係:「平成天皇」「令和天皇」になるとは限らない
はじめに
明治時代の天皇に「明治天皇」、大正時代の天皇に「大正天皇」といった具合に、近代以降の歴代天皇には崩御後にその在位中の元号を用いた追号が後継者たる天皇から贈られてきた。
宮内庁編『明治天皇紀』曰く、「治世の元号は、最も聖蹟を象徴する」。明治維新後は一世一元の制を導入したことによって、天皇の在位期間と在位中の元号がそのまま重なるようになった。結果、孝明天皇までのような諡号よりも元号を冠する追号のほうが治世全体をよく示すようになったのだ。
この形式が明治、大正、昭和と三例続いていることから、平成時代の天皇(※現・上皇陛下)と令和時代の天皇も、ゆくゆくは在位中の元号を冠してそれぞれ「平成天皇」「令和天皇」という追号を奉られるものだと世間では広く信じられている。
さて、冒頭に記したように追号とはあくまでも崩御してから奉られるべきものなのだが、ご存命の天皇(経験者)を追号のようにお呼びしてしまうという誤りが見られることも少なくない。いくつか例を挙げよう。
令和二年(二〇二〇)年一月二十五日、NHK大相撲中継のベテランアナウンサーである藤井康生氏が実況中に上皇陛下のことを「平成天皇」と複数回お呼びしてしまった。これを受けてSNS上では「亡くなってから送られる呼び名です。戒名で呼ぶようなもの。失礼ですよ」などと非難が噴出した。
この放送事故は、全国に放送されてしまったという観点では良くないが、それでも誤りが形あるものとして後世に残りにくいだけまだマシだったとはいえよう。
愛知県岡崎市矢作町に鎮座する矢作神社、弥五騰社、竊樹社の三社の境内には、平成二(一九九〇)年の御大典(※即位に伴う諸儀式の総称)に際して記念樹を植えたことを示す碑があるが、同じ石材店が担当したのであろうか、そこに刻まれている文言はいずれも「平成天皇御大典記念樹」である。
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