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適応障害から復職しました

35年間記事を2月末までに書き上げようと思ってましたが、3月に復職を決断してから予想以上にやることが多く絶賛挫折中な僕ですw いやまだ諦めた訳ではないんですが生活基盤を崩してまでやることでも無いかなと思いまして気長に書き上げて行こうと思ってます。

今は『無理』を一生懸命にすることは禁物と自分に言い聞かせて自分を大事にと、ひたすら心の中で言い聞かせて生活しています。

僕は今自動車整備士という仕事をしている訳ですが全ての始まりは高校3年の1月。これは35年間の中にいづれ書こうと思いますが当時の担任の先生の助けがあって、整備士になりたい!ずっと夢を持つことが出来なかった少年心の中にボヤッと目覚めた一つの夢。叶えたいけど叶えられないもどかしさから、そっと心の奥にしまっていたモノが叶った始まりの瞬間でした。

それから怒涛のような学生生活。学費は自分で稼ぐことが条件だったので朝は始発の電車に乗り学校の近くのバイト先へ。9時までバイトに入り急いで学校、9時20分から授業開始だったので結構タイトだった。そのまま16時まで授業がみっちりした後17時から0時近くまでバイト。終電で家に帰る。

帰宅時間は1時頃。起床時間は4時半。毎日何とか3時間寝ることに必死。もちろん自宅で勉強なんてする時間ないから学校の授業内容はその場で叩き入れる。ノートの書き方もポイントだけ書いて理解につとめる。で、電車の移動時間で復習する。これ後に知ったけど意外と効率的な勉強法らしい。

そんな学生生活を2年間。ちなみに2年生の秋に1日だけ過労と肺炎、腸炎で入院しました。入院拒否したらお医者さんに『このまま学校もバイトも行ったら死ぬよ?』って怒られたり・・

とにかく必死になれたな。夢を持てたことが事が嬉しかったというか、18歳にして初めて自分の本当にやりたい事ができる喜びが大きかった。

そしていざ就職活動に入る訳ですがここでもまた壁にぶつかって。当時就職氷河期の末端で、今みたいにマイナビみたいな会社説明会もないし企業は求人したくない時代だったもんで苦戦した訳ですよ。

そんな時も、とある出会いもあって今勤めている会社に入社する事ができました。社員数も25人と小さな会社ではあったけど、ある意味職種や業務内容はきっと憧れを持つ整備士が多いかもしれない。専門学校の同期にもちょっと羨ましがられたりしたしね。だけどまぁ自動車業界ブラックな訳ですよ。だけど学生の時に散々ブラックな生活を送ってしまったせいか特に抵抗はなかった。

むしろそんなブラックな環境が嬉しくもあったかな?だって単純に1日に17時間働けたら他の人の2倍の経験が得られる訳でしょ?それが許されるならば僕は経験を重きに置いてた。まぁ技術職だし技術で金稼ぐ職種な訳だから。そして何より自分のやりたいと思った仕事なんだから体力的にきつい時はあっても精神的に辛いとも思わないし、何より楽しかったな。

ちょこっとエピソード書いてけど長くなるんで、そんな会社に入って来月には15年の月日が経ちます。2年ほど前から取り巻く環境から精神的におかしくなってきて昨年の8月より医師より適応障害と診断され半年間休職に入りましたが3月1日より職場復帰しました。

本当に休んだ半年間。たくさんの人に支えられ励ましがあり、感謝に溢れた月日。

そして新しいとある人との出会い。この方と出会った事が復職できた1番の要員だと思ってます。その方は年齢こそ下ではあるけど大きなチャレンジをしていた。とても不思議な出会い方だったけど僕はその応援をすることを決め1月31日。この日がその挑戦の第一歩目が達成された日。その挑戦を見続けたことで僕自身救われたし励まされたし勇気づけられた。次は僕の番だ。

やっぱり仕事をしてると、どれだけ好きなことでも辛いことって出てきます。辛くなってきた時期。僕は自分の事を捨ててしまっていました。部下のために、会社のために。そんな思いが先行して自分を大事にすることを忘れてしまってた。

もしかしたらそれは最初からだったのかもしれないけど。

今日は復職して4日目が終わったところです。僕は幸いにも人との巡り逢いに本当に恵まれていると思っています。会社もこの15年で社員も300人を超えてしまうほど大きくなった。未だに過去を回想すると本当に濃密な15年を経験できたと思ってます。大きくなったけども今本当に多くの先輩方々の支えがあってこの半年間の休みが実現できたとも実感できた4日間。

先日インスタグラムに復職する事をPOSTしたのですが、それを見た姉が真面目すぎて逆に心配だと。その日に会社でも同じ事言われてしまった。そんなに真面目なのかな?と感じたけど、僕自身としてはやっぱり夢を持てるようになった最初の気持ちが全ての原動力になってるんですよね。

もちろん最初は整備士になりたいっていう一つの目標ではあったのだけど、整備士となった上でまた新しい夢もできたし想った事はほとんど叶えたきたし。もちろん今もそう。夢が全ての原動力となりうる。そのために自分の信念は貫き通したい。

だけど会社が大きくなったせいか僕は常にアクセル全開。だけどそうじゃない人達からすればそんな走り続けている人が目障りに感じるところもある訳です。僕自身、フルマラソンに例えるなら、トップ集団に残れてないと1位になんてよほどの力がないと非現実的ですよね。そんなトップ集団の中に居ようと必死に走っていた。だけど早く走れる人が常に全力だと早く走れない人は着いていけなくなっちゃう訳で。僕はそんなことも気づかず早く走れない人を無理矢理引っ張っちゃったんですね。僕の信念はえごに過ぎなかったんだ。それが不協和音の始まりだったんです。

今は久しぶりの仕事に慣らせること。そして慣れてきた時にブレーキを踏むことを覚えていきゃなきゃいけない。どうしても上を目指そうとして突っ走ってきたけども、多分それが今出来る1番の近道なんだ。

急がば回れ。そんな言葉でゆっくり力を抜いて生きてみたいと思います。

とにかく今ひとまず半年のブランクから不都合なく仕事復帰できたことに一安心したところでPCを数日ぶりに開きこの記事を書いています。思いつきでズラーッと書いたので乱文かと思いますが・・・ここまで読んでくれた方感謝でございます。また仕事も落ち着いて時間ができたら記事を書いていこうと思います。

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