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香川旅行記①四国霊場第73番札所 出釈迦寺

今回から数回に渡り、香川旅行記をお送りしたいと思います!


出釈迦寺(しゅっしゃかじ)

まずはじめに、出釈迦寺(四国八十八ヶ所霊場第73番札所)に行ってみました!

出釈迦寺?
何それ?

と思った方。

驚いてください。

ここ、出釈迦寺は、幼き日の弘法大師空海が身を投げたという伝説の行場、捨身ヶ嶽(しゃしんがだけ)の遥拝所があるというのです!

遥拝所からは、捨身ヶ嶽のある我拝師山(がはいしさん)の全体像がバッチリ見えます。

我拝師山は、弘法大師出家の原点として、東寺・高野山と共に国内三霊場の一つ!

出釈迦寺のご本尊は弘法大師ご本人作の釈迦如来像です。


伝説の地・捨身ヶ嶽(しゃしんがたけ)

捨身ヶ嶽


弘法大師空海には、数々の伝説があります。

幼少期の伝説の中で1番強烈なものと言えば、
山の上から身投げをしても死ななかった」というお話。

弘法大師がまだ幼名の真魚(まお)という名前で呼ばれていた7歳の頃。

我拝師山に登り、「私は将来仏門に入り、仏の教えを弘めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら、釈迦如来よ、姿を現したえ。もし叶わぬのなら、一命を捨ててこの身を諸仏に身を捧げる」と、断崖絶壁から身投げしたというのです!

すると、釈迦大如来と羽衣を纏った天女が現れ、幼い空海を抱き止めたとのことです。

空海さまが身を投げた場所は捨身ヶ嶽と呼ばれ、現在も、出釈迦寺の奥の院として捨身ヶ嶽禅定があります。

身投げをしても死ななかった空海

弘法大師空海像


やはり、弘法大師ともあろうお方なら、たとえ身投げをしても、その先の使命があるため、お釈迦様がお助けになるということでしょうか。

空海さまって、なかなかチャレンジングな方だな、と思います。

だって、「自分に使命があるか確認するために飛び降りる」って選択肢、人生の中にあります?

もしも私が同じことを願い、「私に使命があるならどうかお救い下さい!」と念じながら山の上から身投げしても、一瞬のうちに即死するに違いありません。

空海さまがこの時もし助からなかったら、高野山真言宗お遍路さんもないんだな〜と考えると、生き延びて下さり、本当に良かったです。

捨身ヶ嶽禅定 

捨身ヶ嶽禅定


出釈迦寺の奥の院が、身投げをされた山頂を霊場として祀った捨身ヶ嶽禅定

ただ、寺からはさらに50分ほど歩くようです。

というわけで実際の写真はありません。笑

そこまで登れない方のために、我拝師山や捨身ヶ嶽が拝める遥拝所があるのですね。

今日においても、我拝師山も、捨身ヶ嶽と言う場所も実在し、毎日沢山のお遍路さんが出釈迦寺に参拝されています。

やはり、本当に飛び降りたのだろうか……凄すぎます!

我拝師山(がはいしさん)

我拝師山

以前は倭斯濃山(わしのやま)と呼ばれていた山。

青年になった空海さまがこの地を再訪した際に、幼少期に身投げした捨身ヶ嶽を懐かしみ、山上で出釈迦寺・本尊の釈迦牟尼仏を彫られ、我拝師山と改名されたとのことです。

繰り返しますが、我拝師山は、弘法大師出家の原点として、東寺・高野山と共に国内三霊場の一つとされています。

修行大師とは?

修行大師像

出釈迦寺の入り口付近には、「修行大師」という名前の銅像が立っていました。

あれ?弘法大師じゃないの?
と思った方、きっといらっしゃると思います。(私もそうでした!)

どう見ても空海さまっぽい出立ちの「修行大師」の像。
調べてみると…
空海さまの若き日の修行時代の姿を「修行大師」と呼ぶそうです。

出釈迦寺は幼き日の空海さまに縁のある場所。
それゆえに「弘法大師」ではなく、「修行大師」と書かれた空海像なのでした。

どんな偉い方にも修行の時代はあるのね。
それを勇気の原理にして、出釈迦寺を後にしました。

出釈迦寺・駐車場付近からの素敵な見晴らし!

(香川旅行記②へつづく!)



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