エッセイ連載 第2回 「職業、脚本家……?」

 私は迷っていた。

 都内有名デパートの化粧品売り場。少しお高めな化粧品のカウンターに座った私は、「会員登録をしていただくと、少し大きめのサンプルを差し上げますよ」という言葉に乗せられ、渡されたタブレットに個人情報を入力していた。こういう“おまけ”や“限定”にめっぽう弱い。そもそも「少し大きめのサンプル」って何なんだ?実際にもらってみたがそれほど大きくもないし、普通のサンプルをいくつかもらった方がトータルの量は多くなるのではないかと思った。それでも、いつも断れず、その場の流れで登録をしてしまう。今回もそうだった。

 名前や住所を入力し、「職業」という欄で手が止まった。選べる項目は「会社員」「非正規雇用・派遣社員」「パート・アルバイト」「主婦・主夫」「学生」「その他」だった。

 私は普段、SNSなどのプロフィール欄に「俳優・脚本家・演出家」と書いている。これを適用した場合、選ぶべきは「その他」だ。しかし今、それを選択すべきか迷っている。

 目の前で商品を包んでいる店員のお姉さんをちらっと見た。艶のある髪を高い位置でまとめ、アイラインが綺麗に引かれていた。マスクから上、見える部分の肌が陶器のようにつるっとしていて美しい。有名デパートの高級化粧品売り場にふさわしい風貌をした、その少し年上の女性は、まさに「お姉さん」と呼ぶのが正しかった。そして、お姉さんは話すのがとても上手だった。さすが接客業と言うべきか、私の「欲しいが、少し高いので迷っている」という言葉から、その化粧品の良さを最大限、魅力的に、しかも優しげな笑顔で説明した。私の悩みや使っている化粧品を聞き出し、時に共感を、時にアドバイスをし、みごと財布の紐を緩めさせたのだった。

 例えば「その他」を選択した場合、この話上手なお姉さんが「(その他……)お仕事は何をされているんですか?」と話を広げようとしてくる可能性がある。その返しで「あ、俳優をしていて、脚本を書いてて……」と言うことは、なぜだか違う、と感じた。

 これはあくまで一瞬の妄想である。だが、この日は平日の午前中。店内は閑散とし、それもあってか時間を掛けて接客してくれていた。このままこのゆったりとした時間が続けば、妄想が現実になることは十分にあり得る。

 以前ならば、大学を卒業するまでは「学生」。卒業後、教員をしていた時代は「講師」と書いたり、非常勤だったので「非正規雇用」を選んでいた。しかし、現在は教育関係の仕事と脚本の仕事を少しずつ、といった感じだ。それで生計を立てられているわけではないので「主婦」なのだろうか?やはり「その他」を選ぶべきか?

 散々思い悩んだ結果、私は「パート・アルバイト」を選択し、タブレットを返却した。お姉さんに「お仕事は何をされているんですか?」と聞かれたら、「教育関係です」と答えるつもりでいた。お姉さんが笑顔でタブレットを受け取った。

 何も聞かれなかった。


 職業とは、いったい何なのか?

 私なりの答えは「現在最もお金を得ている手段」である。これはフリーの俳優として舞台に出演していた頃に考え、考え抜いた結論だ。芸事を生業にしようと目指す人間ならば誰しもが通る悩みであると思うが、言わずもがな、ほとんどの俳優はアルバイトをしながらオーディションを受け、舞台や映画に出演している。舞台や映画のギャランティだけでは生活が出来ない。だから時間に融通のきくアルバイトをする。私の結論からすると、その時点での彼・彼女の職業は「アルバイト」であって、職業に「俳優」と書ける人はほんのひと握りであると思う。

 人によっては、名乗った者勝ち、自分で決めるもの、という考えもあるだろう。しかし、私は終にその考え方は出来なかった。いくら舞台に出続けても、脚本を書いてお金がもらえたとしても、パートやアルバイトが最も大きな収入源である限り、自分が選択できる職業は「パート・アルバイト」。それが現実。誰かにそう言われた過去があったのかもしれないが、最終的にそう結論付けたのは自分自身だった。お姉さんの「お仕事は何をされているんですか?」の返答を「俳優・脚本家・演出家」とするのは、なぜだか違う、と感じたのはこうした理由からだった。

 ではさらに疑問。なぜ私のSNSのプロフィールには「現在最もお金を得ている手段」ではないことが書かれているのか。

 数刻、自問自答してみた。結果、今の職業は「パート・アルバイト」だとわかっているにも関わらず、自分自身がそれを認めたくないようだった。矛盾している。でもそれでいいと思った。だって私は職業を「俳優・脚本家・演出家」にしたい、これが本音なのだから。

 プロフィールを見る度に、こうなりたい、という気持ちと、なれていないくせに書いて恥ずかしいやつだ、と責める気持ちがやってきて複雑な感情になる。正直なところ、後者の気持ちの方が大きいかもしれない。きっとしばらくは、もしくは一生、今回のように職業欄で迷うのだろう。

 でももしかしたら、いつか迷わず自分の職業を書ける日が来るのかもしれない。その時は、今こうして悩みながら、それでも、「こうなりたい」という願望を書き続けた自分を、心の底から褒めてあげたいと思う。


NEXT 1月10日

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