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本焼きという工程に救われている

noteをご覧の皆様、初めまして(^^)

熊本県で小代焼という陶器を作っております焼物師の西川智成と申します。
作り手の立場から、日々考えていることを記事にしていきますのでよろしくお願いいたします。

これから私が書く文章は、小代焼中平窯公式ホームページで更新していた「やきもの日記」の続編のようなものです。

2023年5月末に登り窯を焚き終えました。
今回は私が思う『本焼き』という工程のありがたさについて書いていきます。


ここから本文:私は終わりを決められない…。



まず初めに告白しなければいけないことがあります。



私は「自分自身で作品の完成を判断する」という行為がとんでもなくヘタなのです…。


このことを自覚したのは大学生の頃、彫塑と油絵の授業を受けた時でした。
この二つのジャンルは作者が納得するまで、どこまでも手を加え続けることができます。

特に彫塑に関しては「素材も同じ粘土だし、普通の人よりは上手に作れるやろ~(^^)」と気軽に受講したため、現実とのギャップに衝撃を受けました。


1つのモチーフを見ながら粘土を盛り上げては削り、盛り上げては削りを繰り返しているうちに…
どこで終わったら正解なのか 全く分からなくなったのです…。


こうして、
気軽に受講した彫塑の授業は私にとっての「賽の河原」と化しました。
※熱心にご指導いただいたT先生、失礼なことを書いてすみません(-_-;)
これは授業内容ではなく私自身の問題です…!

10年近く経った今でも彫塑と油絵は私が苦手なジャンルであるとの意識があります。
そして自分に出来ないからこそ、このジャンルで活躍されている彫刻家・画家の方々には畏敬の念を抱いています。

いや、ホントに尊敬します…凄いです…。


焼き物は良くも悪くも強制終了!

本焼き中の登り窯

一方、焼き物の終わりは「本焼きが終われば終わり」というシンプルなものです。

仮に、本焼き後に気に入らない部分があったとしても
「あと5㎜大きくする」
「少しだけ色を明るくする」
といった微調整が利きません。


だからこそ良いのです。だからこそ次へ進めるのです。



それ以上手が加えられないからこそ、良い物が焼ければ
「もっと良い物を作ろう!」
失敗しても
「次はここを修正しよう!」
と考えて次に進めます。

本焼き後も作者の気がすむまで調整できるとなれば、私は彫塑の授業を受けていた頃と同じように、どこで終わって良いのか分からなくなるでしょう…。



私は本焼きという工程に救われているのです。




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最後に


念のため誤解の無いように書きますが、私は本焼きをするときに
テキトーに焼いたり、当てずっぽうな判断をしているという訳ではありません。


真剣に本焼きに臨んだ上で、成功でも失敗でも次に進めることに感謝しているのです。

また、美術・工芸の各ジャンルに上下関係を作りたいわけではなく、全ジャンルが平等に尊いとも考えています。
決して陶芸は簡単だという意味だと誤解されないでください。

今回のテーマは私自身の向き不向きのお話です。


2023年6月26日(月) 西川智成


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