長生きは本当にいいのか? ~死に方から考える生き方∼
この記事は、私がnoteを始めて絶対に書きたいと思っていたことです。
議論を起こしそうな題名で完全に自分論ですが、参考になればと思います。
“健康”について深く考えるきっかけは、病院で働いたことにあります。
私の病院だけではないと思いますが、病院で働いていると、80歳以上の高齢者の方で「もう、いいんだよ。」といった発言をするのをよく目の当たりにします。
皆さんは、長生きすることについてどんな印象がありますか?
私が病院で働く前は、“長生き”は非常にいいことだと考えていました。
しかし、病院では
「長生きしてください」
「長生きっていいね」
なんて言葉は、軽々しく言えなくなりました。
そのことについて、書きたいと思います。
高齢者の方との係わりの中で
私が勤めている病院は、急性期病院です。
そこでは、救急で対応すべき体調不良やケガによって生活が困難となった方が入院し、自宅や施設、もしくは他の病院などに退院、転院していただく病院です。
さらに、私の勤め先の病院では老人ホームなどの施設からの入院患者さんが多く、そのほとんどは80~105歳の方で、非常に年齢層が高いです。
そのため、多くの高齢者の方とお話する機会があります。
それぞれに様々な過去があったと思います。
ほとんどの人が戦争を経験し、経済成長を遂げる日本を支えてきてくれた方々です。
しかし、そのような激動の時代を切り抜けてきた方が
「もういいよ。」
「もう十分、生きたから。」
「これ以上生きても...。」
などと発言されます。
私は日々、そのような発言から、いろんな感情が芽生えます。
高齢者の方の気持ち
その発言には
「自分のことを誰かにやってもらって情けない」
「これ以上生きていても意味がない」
と。言う方が病院では非常に多いです。
なぜ、そう思ってしまうのか?
できていたことができなくなる。
↓
自分が自分じゃない。とギャップを感じる
↓
恥ずかしい・情けない・申し訳ない
↓
これが続くなら希望が持てない。
↓
生きていても仕方がない。
「長生きしても仕方がない。」
「長生きしても迷惑をかけるだけだ。」
「長生きなんてしなきゃよかった。」
そういったことだと、感じ取れます。
私たち若者は、何十年も残っているからこそ、いくらでもやり直しがききます。
そして、人それぞれ状況は違えど。
心も体も、ご高齢の方に比べたら回復力はかなり残っていると思います。
たかが、20年や30年で失敗して生きたところで、本来なら、残りの人生の方が長いはずです。
若いうちは、
できないことをできるようにする。
高齢になれば、
できたことができなくなる。
若い人のそれとは、全く別物で
どんなにあらがっても。逃げられないです。
この、老化を止めることはできませんが、
老化による障害を予防して、病気にかからないよう確率を減らすことはできると思います。
病院の限界
病院でなんでも治る。
そう思っている方は多いように感じますが、限られた医療制度の中でしか治療を進められません。
さらに、病院では、治せる範囲があり、それは時期や病気の種類によって大きく左右されます。
そういった、こともあり。
・ある程度治せても、時間が足りない。
・そもそも、治せない。
そんなことは、ざらにあります。
さらに、
救う、救えない、救わない。
そんな葛藤や論争が日々行われています。
日本では、安楽死について賛否両論の意見があります。
それが、良いか悪いかはわかりませんが。
人の技術によってその人自身が救われたと感じる人もいれば、救われないと感じることもあるのではないかと感じます。
だからこそ、自分のやっていることに疑問を感じることも非常に多くあります。そして、何もできていないのではないかと、自分を情けなく思うことも多々あります。
自分である最後
「早く死にたい。」
「死なせてくれればいいんだけどね。」
これは、そう思ってしまっても、仕方がないことだとは思います。
しかし、私は、最後の最後でそんなことを思ってほしくないんです。
死は、人生の締めくくりだからこそ。
その死に方で、ハッピーエンドにもなるし、胸糞悪いバッドエンドにもなります。
激動の時代を生きてきた、日本を支えてきてくれた方が、最後に悲観的になり、孤独を感じ。
「早く死にたい。」
そんな姿を見たくなかったです。
しかし、これが現実なんです。
だからこそ、“健康でいてください。”
長生きがすばらしいのではなくて、
最後まで健康でいることがすばらしいのです。
最後まで、自分の人生を自分として終われることが幸せなのです。
もちろん。
病気は、絶対にかからないことは保証はできません。
しかし、かからないように確率を減らすことはできます。
そして、かかっても大きな問題にならないことにも繋がります。
数十年かけた汚れが一瞬で落ちないよう。
数十年かけて悪くなった体が、数週間・数ヶ月でよくなるわけがないです。
皆さんには、できるだけ病院に来ないでいい体でいて欲しいです。
最後に
できる限りでいいです。
家族の前では言えない不安や悩みに、注意を向けてみてください。
医療者として、しんどいこともあります。
しかし、よかったことは、その人にとっての第三者になれたことです。
「第三者だから言えない本音」と「第三者にだから言える本音」
後者の本音、「長生きしても仕方がない」ということを聞けたのは、大きな財産だと思います。
今後、自分や家族、周りの人の死と正面から向き合うことができると思います。
私は、振り返った時に楽しかったと言って死にたいです。
孫や子供を見て、自分の人生を振り返り
「これが、自分の人生だ」
私はそう思いながら、死にたいです。
死ぬことは、悪い印象はありますが、それが必ずしも悪いとは思いません。
死に方から生き方を考える。
これが、私の生き方です。
今日もお立ち寄りありがとうございました! ではまた(^^)/!
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死があるからこそ、最初で最後の人生を堪能して、生きなきゃ!と思えます。誰でもいずれ訪れる死に対して、必ずしも悪いことと考えるのではなく、どう生きたいのかを考える一つの材料として、もしくは最後の人生を締めくくる晴れ舞台として、残された時間を満足してもらう。そう捉えることも、人生を充実させる一つなのだと思います。
自分の“価値観”や”見えること”だけが正解なのではなく、相手の立場になって寄り添い、考えてみることも、人と関わる上で大事だと感じます。
自分の好きなこと、必要なこと、本当に大事なものは何かという本質、これらを探すことで、自分の生きたい生き方を見つけるのだと思います。
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