見出し画像

お湯をつかって組織について書いてみたけど

寛容さが大事といわれるが、寛容さと鈍感さを同じように扱うことには注意が必要だ。そりゃ気づかなきゃ寛容には思われるさ。でもそもそも気づいていないことを、いいこととして捉えることには違和感がある。

気づくと気になってしまう。気になると言いたくなってしまう。言うと疎まれてしまう。疎まれるとそこには居づらくなってしまう。

同じメンバーで長年運営されていたり、トップに頼ってばかりいる組織はぬるま湯に浸かりがちで、外から見たときに気づいてしまうことも多い。考えなくとも進んでいく組織は危ういのだ。考えなきゃいけない場面で考えられない。考えるくせがついていないから。そうするとあたらしいお湯を入れられる人が重宝されるのだが、お湯が熱くなることを察すると離脱者がふえる。そして「あんな熱いお湯に入るなんてどうかしてるよ」なんてことを言いだす。ふしぎと察する力は発達している。これまたふしぎとその言葉や意識は伝染していく。なんとかしようとする一生けん命な人ほど、そこには居づらくなってしまう仕組み。

一方、気づく側の問題もあるだろう。正しくない気づきで指摘してしまう人が多いことも見逃せない。それはみんなに起こりうることだからこそ、気づきにも注意深くなる必要があるし、「ぜったいにこれが正しいのだ!」という熱湯はいけない。
こうなると歩み寄りの話になっていきがちなのだけれど、ぼくは折衷案はあまり好きではない。人間関係の面では大切なことは知っている。けれど、折衷案はだいたいつまらないし、だれも熱量を持てない状態は、だれも喜ばない未来しかない。お察しの通り、ぼくは答など持っていない。ぼくが人間関係でうまくやる術を身につけていれば、もっと輝かしい世界にいたかもしれない。ぼくは人間関係がにがてだ。がまん強くもない。愛想はいいと思っていただえることも多いけど社会性は欠如してると思う。この年になるとあきらめもつくし、あきらめてから楽になった。ぼくは寛容にも鈍感にもなれずさまよう、お湯でいえば、、、なんだ?

最後までお読みいただき、ありがとうございます。お時間が許すようでしたらメンバーシップをのぞいてみてください。
「だれだってなれるん会」は、コピーライティングやCMプランニングを楽しむ人たちのコミュニティです。他にも動画編集スキルアップコースもございます。
また現在「CMプランナー/コピーライターに、だれだってなれる講座」受付中です!
ご興味あればぜひ。

ここから先は

0字

キャッチコピーやCMの企画、過去案件のボツ案をご紹介するコミュニティ「だれだってなれるん会」へのご参…

だれだってなれるん会light

¥300 / 月

だれだってなれるん会

¥1,000 / 月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?