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F1史に残る伝説のドライバー│ミハエル・シューマッハが歩んできた光と闇

フェラーリの伝説にしてF1史に残る偉大なるドライバー、ミハエル・シューマッハ。そのキャリアの光と闇を振り返る。

ミハエル・シューマッハはF1史上最多のタイトル7 回、91 勝という大記録を樹立した。だが、史上最も偉大なドライバーなのかと考えると、いささか異論が残る。シューマッハは矛盾だらけのアンチヒーローだった。コース上でライバルを危険にさらすドライビングは、F1の初代チャンピオンであるジュゼッペ・ファリーナが、戦前に2度、ライバルが死亡する事故に絡んでいたことにもなぞらえられる。

シューマッハのF1 デビュー戦は、1991年のベルギーGP だ。ジョーダンのベルトラン・ガショーがロンドンでタクシー運転手に催涙スプレーを浴びせて収監されたための代役だった。シルバーストンのテストでは、シューマッハがあまりにも速いので、チームは4 周でスローダウンさせなければならなかった。スパ・フランコルシャンではさらに衝撃的な走りを見せる。非力なジョーダンでいきなり予選7番手をつかんだのだ。

チームのミーティングではこんなやり取りがあった。チームメートのアンドレア・デ・チェザリスが、高速のブランシモンを5 速で抜ける際にマシンがナーバスだと報告した。それを聞いたシューマッハは落ち着き払った様子で「あそこは6速のまま全開で抜けたほうが楽だ」と言ったのである。

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決勝はスタートでクラッチを壊してリタイアに終わったが、すぐにジョーダンを捨ててベネトンに移籍した。迎えた1994年、アイルトン・セナはイモラで死亡するまで、前年から禁止されたトラクションコントロールをベネトンが使用し続けていると信じて疑わなかった。その後の調査で、トラクションを制御する「オプション13」という謎のソフトウェアが見つかり、嫌疑はいっそう深まったが、決定的な証拠は見つからなかった。シューマッハは最終戦でデーモン・ヒルを抑えて初タイトルを獲得するが、その方法が物議を醸した。コースアウトしてウォールにヒットしたあと、抜こうとしたヒルと接触して自他もろともリタイアしたのだ。これ以降、シューマッハは"悪役"と見なされるようになった。

翌1995 年は、ルノーエンジン搭載のベネトンで他を圧倒した。だが、真の全盛期は、ジャン・トッドに説得されてフェラーリに移籍した1996 年から始まった。それまでのジャン・アレジとゲルハルト・ベルガーも充分速かったが、トッドは最高のドライバーを求めたのである。成果が出るまでには時間がかかった。しかし、トッドは1997年にロリー・バーンとロス・ブラウンをベネトンから引き抜くことに成功。フェラーリ社長ルカ・ディ・モンテゼーモロの干渉にも、チームが不安定になることはなかった。
 
シューマッハは優れたテストドライバーだった。要求も厳しかったが、いかなる協力も惜しまず、マシンに求めるものも明確だった。また、従来の常識を覆すレベルにまで肉体を鍛え上げた。そして、コース上で必ず結果を出した。こうして、2000年から2004年まで、フェラーリは負け知らずだった。シューマッハのマネージャーであるウィリー・ウェーバーはこう語ったものだ。「神が完璧なレーシングドライバーを作りたいと思ったら、きっとミハエルに似せて作るだろう」

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その非凡さを示す瞬間は数え切れない。1996年のスペインGPでは、激しい雨の中でフェラーリでの初優勝をつかんだ。1998年ハンガリーGPでは、19周で25秒の差を埋めるために予選並みのラップが必要だとブラウンから指示を受け、本当にそれを成し遂げて優勝した。2000年には鈴鹿でマクラーレンのミカ・ハッキネンを抑え、1979年以来となるドライバーズタイトルをフェラーリにもたらした。

2001年マレーシアGPでは72秒ものピットストップを余儀なくされ、2003年オーストリアGPでは給油作業中に炎に包まれながら、いずれも優勝している。ティフォシから敬愛されたのも無理もない。その人気は今も絶大だ。

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シューマッハの長所としてブラウンが第一に挙げたのが、どんなマシン、タイヤ、コンディションにも適応できる能力だ。それに加えて、恐ろしいほどのスピードと非情なまでの勝利への執着心を挙げている。ヘレスで迎えた1997年のタイトル決定戦では、ジャック・ビルヌーブに衝突してリタイアした。その結果、ビルヌーブがチャンピオンとなり、シューマッハは故意に衝突したとしてシーズンの全ポイントを剥奪された。また、2006年のモナコGP予選では、ラスカスで"停車"して、タイトル争いをしていたルノーのフェルナンド・アロンソがポールを奪うのを阻んだ。

しかし、特にその偉大さに影を落とす瞬間として今後も語り継がれるのは、2010年のハンガリーGPだろう。シューマッハは、順位を争っていた元チームメートのルーベンス・バリチェロを、ピットウォールに接触しかねないところまで押しやったのである。「おぞましい行為だった。あんなに危険な場面は経験したことがない」とバリチェロは非難した。
 
シューマッハはこう語っている。「同情はタダで手に入るが、嫉妬は自分で勝ち取らなければならない。2位になった者は、常にウィナーより同情される」
 
ブラウンも、「成功する人々は妥協しない。ミハエルを批判するドライバーに7度の王者はいないじゃないか」と話している。こうした面があった一方で、シューマッハは2004年にスマトラ島沖地震の津波被災者に1000万ドルもの寄付をしている。コース外での真の人間性をうかがわせる逸話だ。人間シューマッハに思いを馳せると、2013年のスキー事故以来、今も続いている悲劇的な状況にいっそう胸が痛む。
 
はたしてシューマッハは史上最も偉大なドライバーなのか。その答えは、勝利数やスポーツマンシップをどの程度重視するかで変わってくるだろう。だが、最も成功したフェラーリドライバーであることに疑いの余地はない。

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