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フリーランス翻訳者になるまでの経緯

フリーランス翻訳者になるまでの簡単な経歴

・2001年、大学の第二外国語(経済学部)で中国語を選択し、大学3年生の時に吉林大学に1年間留学。帰国後、地方の貿易会社の海外事業部に就職(主に貿易実務、中国メーカーとの連絡)。
・2005年に中国航路のある船会社へ転職(貨物の通関や旅客の入出国の補助を担当)。
・2007年に転勤族の夫と結婚後、夫の転勤を機に退職し、地域のボランティア通訳や司法通訳など。
・2011年に長男、2013年に次男を出産後、転勤族妻としての働き方を考えるようになる。転勤族で子育てを助けてくれる両親も近くにいないので、在宅で働きたいと考えるように。→通訳ではなく翻訳を選択。
・2015年からフリーランスの翻訳者として仕事を始め、現在は4社と契約し、自動車(法規、特許、ニュース)、機械分野の特許の翻訳やチェック業を行っています。

翻訳者になりたいと思うようになってから

2012年、長男が1才の時、千葉県に転勤で住んでおり、近くで土日(夫が休みの日)に中国語翻訳を受講できる学校はないかと検索し、車で20分の麗澤大学で土曜日に三潴正道先生による一般人向けの中国語レベル講座が開かれていたのを見つけ、半年間(土曜日の午前中のみ)通学。翻訳のテクニックというよりは、原文をきちんと理解するための講座でレベル30というテストに合格し、日中翻訳推進協会「而立会」に入会し、今でもお世話になっています。
かかった金額:約3万円

次に、ネットや書籍でどういった翻訳者の求人が多いかを検索し、当時は「特許分野」と「ゲーム翻訳」の翻訳者の求人が多かったので、ハードルは高いと思ったのですが、「特許翻訳」に焦点を絞って、技術関連(化学、機械など)の勉強を高校生の学習教材や過去の特許などを使いながら勉強しました。
英語の特許通信講座を並行して半年受講しましたが、英語は全く分からないので、検索の仕方や日本語の特許を読むための勉強をした感じです。

この時期に、翻訳者として必要なスペックのパソコンやTrados(翻訳支援ソフト)などを購入しました。独身時代の貯金がなくなりました💦

かかった金額:通信講座 約15万円、書籍など 約5万円、パソコンや辞書、翻訳支援ソフトなど 約30万    合計:約50万


乳児2人がいていつ勉強したのか?

当時長男が2才、次男が1才くらいで保育園などにも預けていませんでした。なので、一応上記にはむっちゃ勉強したように書いていますが、ほどほどに勉強した感じです。(中国語自体の勉強はほとんどしていません)

午前中に思いっきり近くの児童館や公園で子供たちと遊んで、子供たちが昼寝してからの時間、早めに子供たちと一緒に就寝して、朝4時くらいから7時くらいまで勉強する感じでした。(もちろん毎日じゃありません💦)

今それをやれと言われるとまぁ絶対に無理です💦、というか嫌です💦。

まだ若くて体力もありましたし、絶対に在宅で仕事をするんだという気迫があったんでしょうね…多分。そんな生活を暫くして、長男が幼稚園に入園したタイミングで翻訳会社のトライアル(翻訳者になるための試験)を受け始めました。


翻訳会社のトライアルにチャレンジ

転勤で鳥取に住んでいるとき、長男が幼稚園に入園したのを機に、翻訳会社のトライアルにチャレンジし始めました。英語の翻訳者のなかには50社以上トライアルを受けた方もいると聞いて、長期戦になるなと思ったのを覚えています。
そもそも中国語翻訳者を募集している会社自体が少なく、その上専門分野を絞った募集はかなり少なかったです。結局半年くらいで約20社に応募しましたが、返事もない会社も多く、トライアルを受けることができたのが10社以下、トライアルに合格したのが8社、契約に至ったのは5社でした。

トライアルに合格しても仕事が来るわけではない

契約を結び、翻訳者として仕事をする気満々だったのですが、まぁ、仕事なんかほとんど来ません。。。
忙しくなったらどうしようなんて心配していた自分が恥ずかしくなりました💦
観光分野の翻訳、化粧品の商品説明、企業のパンフレットの翻訳などの仕事が本当にぽつぽつと。月の収入も2万円ほど。フリーランス翻訳者なんておこがましくて誰にも言えません。

いざ、あいさつ回りへ

このままでは小遣い稼ぎにしかならないと思い、1日だけ夫に有給を取ってもらい、鳥取から東京へ契約していただいた翻訳会社に日帰りであいさつ回りに行きました。(会社員の頃の営業の経験が役に立ちました)

どういった翻訳者が不足しているのか、どういった案件が多いかなど担当者とお話をさせていただき、本当に良い機会になりました。(フリーランスになってから最初の3年くらいは年に1度訪問しました)

顔を合わせて話をしたことがきっかけかどうかは分かりませんが、それから少しずつ特許関連の翻訳やチェック案件が少量で依頼されるようになりました。

信頼を勝ち取るために黙々と仕事をする、そして夫の扶養から外れる

あとは、とにかく頂いた仕事をきちんと納期までに納品する、信頼されるまでとにかく続ける、それだけでした。
当時はまだ、子供も小さかったため育児も忙しく、仕事が増えない時期もそこまで焦ることはなかったです。今思えば、育児のストレスを仕事で発散し、仕事のストレスを子供と遊ぶことで発散し、良いバランスだったともいます。
その間に、納期までに納品しなかった翻訳者さんの代役や、クレームがきた翻訳案件の再チェックなどもやる機会があり、徐々に翻訳会社から信頼されるようになり、同じ翻訳会社の他部署や子会社からも案件を依頼されるようになってきました。夫の扶養を外れたのが、フリーランスとして初めて仕事を受けてから1年後です。





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