食える資格
数日前、会社で仕事をしていたら、かつて同じプロジェクトで働いていた同僚がやって来て話しかけてきた。「その節はいろいろお世話になりました」と。
彼は今月で退職することが決まっていて、その日が最終出社だったらしい。コロナ前だったら職場じゅうを挨拶回りするところだろうが、だだっ広いオフィスに数人しか出社していないような状況では、ずいぶんと楽だったことだろう。
そんなことはともかく、彼は退職後、まったく別業種の仕事をすると風の噂に聞いていたので、「次、何するの?」と不躾な質問をしてみた。結局はっきりしたことは聞けなかったが、少し前に「とある資格」を取得していたので、それを活かした仕事をするとのことだった。
その「とある資格」が何か具体的には教えてくれなかったが、「よく決心したね」と言ったら彼は一言、こう言い放った。
食える資格だからね
おお、と驚嘆の声を上げつつ、新天地での活躍と健康を祈る言葉をかけ、にこやかに立ち去っていく彼を見送りながら、彼の一言が私の心の中に波紋を投げかけ、それが静かに広がっていくのを感じずにはいられなかった。
私自身、今すぐ会社を辞めても「食える」資格など持っていないことを思い知ったからだ。
いや、私はキャリアコンサルタントの資格は持っている。国家資格で、名刺に肩書として記載しても良いものだ。でも、多くの人が言う通り、キャリコンは「食えない資格」なのだと痛感している。
今、私はこの資格を自社組織のために活かすべく活動をしており、社外に対して積極的に求職した訳ではない。しかし、さまざまな情報サイトを見回しても、勉強する場やホルダーと交流する場は売るほどあっても、キャリアカウンセリングを実践し、さらにそれで報酬を得られるような場は簡単には見つけられない。
自社グループにも資格ホルダーは結構おられて、皆さん素晴らしいコンサルタントだが、「食える資格」として活動している人はほぼ皆無だ。少し前に、とあるセミナーで人材管理会社のコンサルを受けたときにも、「ああ、キャリコン資格お持ちなんですね。でも、全然仕事ないですよ」と、コンサルタント氏に少々うんざりした顔をして言われた。きっと彼もキャリコンの資格を持っていて、それが偽らざる実感なのだろう。
もちろん、キャリコン一本で稼いでいる人はいて、中にはノウハウを本を書いたり、講演したり、YouTube動画を流したりして伝えている猛者が存在するのは知っている。だけれど、そんなのはごく一握りにすぎない。
自分に彼ら彼女らのような信念も、突破力や行動力があるとも思えない。キャリアコンサルタントであるということは確かに誇りではあるけれど、だからと言って、自分が特別とも思わない。ただちょっとお金と時間をかけて勉強して、試験には通ったというだけに過ぎない。
私がキャリコンの資格をとったのは、社会貢献とか何とか、そんな高邁な理想ゆえではない。自分と同じように、将来、どんなふうに人生を重ねていきたいのか、どんな道を歩んでいくのが良いかと考えて、立ち止まり、うずくまってしまった人たちと共に、その答えを見つけるカギを探したいという単純な思いからだった。そうした作業を重ねることが、自分自身の将来設計にもきっと役立つに違いないと。同じような悩みや苦しみを抱えた人たちで、何かゆるやかな互助コミュニティを作れたらとも思っている。
しかし、そんなマイルドな動機と漠然としたビジョンだけを抱え、ただのほほんと構えているだけでは、キャリコンを「食える資格」とすることなど到底できないのだろう。前述の猛者たちのブログを見て、こんな資格はそもそも無駄、明確な強みを説明できないコンサルなんてクソだと一刀両断する刺激的な文章を読んで、ただうなだれるしかない。彼ら彼女らは、きっと正しい。
そんな体たらくだから、自分自身から目を背けて、国はなんでこんなに慌てて無駄な資格ホルダーを増やそうとしているのか?と疑問を投げかけたり、日本はカウンセリングを受ける文化が根付いていないから、まずそこを変えていかなければと主張したり、なんだかスケールのバカでかいことを言ってしまいそうにもなる。
でも、どれもちっぽけな自分には手に余る話で、そんなことを言っていては何も進まない。
まずは、自分がキャリコンを本当に「食える資格」にできるようにしたいのか、あるいは、現実的に考えて、キャリコン以外に「食える資格」を身につけて転職に備えたいのか、それをじっくりと考えるしかない。
で、「食える資格」って、何だろう。いや、食っていくために、私にとって資格は必要なのか。まずは、そこからか。いつも堂々巡りしているような気もするけど。
一歩一歩、私の歩幅で、私のスピードで、道を探しながら歩いていくしかない。
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