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社会に対する怒りはゼッタイに無視するな。/12月6日の日記

怒りの感情を放って置くと、無関心人間が出来上がる。

「内藤さんって怒ることってあるんですか?」

こんな質問をいただく位、普段は感情の起伏がほとんど無く、アフリカに住んでいるとよくある「相手が待ち合わせ時間に現れない」という、日本人なら怒り狂う人すらいるような出来事も、「お、ラッキー。本でも読んでよーっと。」と、むしろポジティブに捉えてしまうほど、自他共に認める怒らない人である。


でも実は、僕は毎日怒っている。


特定の誰に対してとかではなく、社会に対して怒っているのだ。例えば、「有名人スキャンダルに対して当事者でもない癖に、匿名で痛烈な批判をする輩」とか「自分は英語すら話せないのに、コンビニで働く外国人の方に「もっとちゃんと喋れ!!」と罵声を浴びせる輩」などである。

このような「特定の誰かを非難しても仕方のないこと」に対する怒りは、いったいどこにぶつけたら良いかわからないし、それこそその怒りを特定の誰かにぶつけたりすると、自分自身がその怒りの対象になってしまう。


だから、こうした怒りは行き場を無くし、時と共に消え去っていく可能性が高い。


僕はこれこそが大問題で、社会への怒りの放置を続けることが「無関心人間」を作ってしまう根源だと思っている。


社会に対する怒りを覚えたとき、僕が真っ先にやるのは「怒りの記録」である。何に対して怒ったか、どのくらい怒ったかなどを文字でも音声でも良いから記録して残しておくのである。

そして、その怒りの根源を分析する。例えば先ほどの「自分は英語すら話せないのに、コンビニで働く外国人の方に「もっとちゃんと喋れ!!」と罵声を浴びせる輩」を見て怒りを覚えた場合、その怒りの根源を冷静に追求していくと「自分が海外で働いたり生活をした経験がないから、その大変さが理解できていない」などの理由が分かってくる。

理由が分かったら、「じゃあ自分はそれを解決するために、何が出来るか」を考えるのである。理由が分かっても、それだけを愚痴愚痴言っていると、何も解決しないどころか、無関心人間の次にダメな「批評家人間」になってしまう。

「じゃあ自分はそれを解決するために、何が出来るか」というのは、そんなに大それたことをする必要はない。自分に海外で働いた経験があれば、その経験をブログなど発信するのも良い、次に外国人労働者の人にあったら、「日本語むずかしいのに頑張っていて凄いですね。ありがとう。」と声を掛ける。その人は勿論嬉しいだろうし、後ろで聞いていた日本人にも気づきを与えられるかもしれない。


ほんの小さなアクションでいいから、「社会に対する怒り」を元に行動することが出来れば、もっと明るい未来が創れるのだろうと思う。


大きなアクションをする場合は、結果が出るまで時間がかかるので、心が折れ掛けることもあるかもしれません。その時は「怒りの記録」を見たり聞いたりするともう一度その時のモチベーションを思い返すことができる。


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12月6日の日記「生き様コンサルの目的」

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