スタンリーキューブリック、いいよね

高校生の時、時計じかけのオレンジを初めて見た時衝撃を受けた。
とにかく衝撃だった。
自分の知っている映画の形態じゃなかった。

なのに最後まで見てしまった。
確かに暴力描写ばかりで、絵面がとにかく強い
強い絵面が無限に出てくる。

だからそういう映画に慣れていない自分でも見れたっていうのはあると思う。

全てが想像の範疇を超えていた。
高校生の自分にとってはこんなのもありなんだと思うことが次々に出てくる。

まずは言葉、造語なのでこの世に存在しない言葉が字幕でアンダーラインが引かれながら次々と出てくる。
おそらく時計じかけのオレンジは原作ももちろん、映画も有名なのでほとんどの人は見る前に事前知識として、そういう造語がたくさん出てくると知っているのだろうが、自分は事前知識がなく見てしまったので、本当に意味がわからなかった。

今でもよく途中でやめなかったなあと自分でも思うが、あの頃は映画を体全体で受け止めていた。
目に入る映像と耳に入ってくる音をそのままの状態で受け取っていた。
だから最後まで見れたのだろう。
あれを考えながら見ていたら、多分頭がおかしくなっていた。

次に大袈裟な演技かな。
とにかく大袈裟、ずっと変な喋り方をしているなと思っていた。
出てくる人の顔も変だし、リアリティというものとかけ離れていた。
でも、逆に全てがリアリティから離れているからこそ、あの意味不明な世界を受け入れていたのかもしれない。
少しでもリアルな表現があったら、頭の中にいろんな疑問が生じていたに違いない。
全部がおかしいから、その世界ではそれが普通なのだと直感的に理解できる。
ある意味考える必要がない。映画という体験に集中できる。
小説や音楽とかテレビではなく、映画ということである意味が強く存在していた。

そして最後は、クラシック音楽
キューブリックは他の映画もそうだけど、音楽のチョイスがめちゃくちゃいい。
音楽を標題音楽ではなく絶対音楽として、純粋に音というもので評価して使っているように感じる。
もちろん音楽には作曲された背景から、いろんな意味づけがされていることが多い。
でもキューブリックの音楽の映画での使い方は、その前提を完璧に無視していると思う。
でもそれがまた、音楽を音としてのみ吸収することができることにつながってきていると思う。

この映画は映画であることにとても意味があるものになっていて、映画という世界に完全に没入できるようになっている。
それも無意識的に、音を音として吸収し、映像を映像としてのみ吸収し、言葉を言葉としてのみ吸収する。
余計な意味づけに引っ張られない。
それぞれが独立しているように感じる。
しかし、だからこそそこから派生する個々人の受け取り方は無限の可能性を秘めていると思う。

キューブリックは本当に素晴らしい映画監督だ。

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