見出し画像

終わりを描いて、 今、大切にするべきことを見つめ直すこと

毎年この時期になると
10年前を思い出すことがあります。


一言でまとめることが難しいのですが、
〝温かい目で見届けられる死がある〟
ということ。


『7つの習慣』の2つめの習慣で
「終わりを思い描くことから始める」
とあるように、

見たくない終わりを少しだけ考えると
大切にするべきものが何かわかるかもしれない、
ということです。


完全に日記投稿の自分用メモですが
気になる方は読み続けてくださると嬉しいです。



❄️ ❄️ ❄️ 


秋田で暮らしていた
曽祖父と曽祖母が旅立ってから
10年の月日が経ちました。


私が生まれたときから、
祖父母が神奈川県に住んでいたので
私は秋田へ数えるほどしか訪れていませんが

幼稚園生の頃は歩くことが大っ嫌いだったので
曽祖母のタイヤのついたお買い物かごの中に
すっぽりと入って
曽祖母と一緒に
お買い物へ行った思い出があります。


しかしその数年後に
曽祖母は〝植物状態〟になり
病室で呼吸だけできていたものの、
もう目を覚ますことはありませんでした。


「いつ亡くなるかわからない」
と言われながらも、
なんと10年も病室で植物状態のまま
生き続けていたのです。


そしてその10年の間に
5人の息子たちのうち
2人が病気で亡くなってしまいました。

その1人が私の祖父でした。


曽祖母は眠り続け
動くことも話すこともできないので、
曽祖父が秋田から
東京や神奈川へ葬儀に来て見送っていました。




しかし2011年の2月に
曽祖母が旅立ちました。


私は祖母や両親と秋田へ行き、
秋田の雪景色と
横手かまくらの大きさに驚きながら
曽祖母を見届けました。


このとき曽祖父とも会話し、
曽祖父にご挨拶をしに行くと

(曽孫はたくさんいて覚えられていないので)

「◯◯◯(母の名前)の娘か^^」

と笑顔で返事をしてくれたことを
今でも鮮明に覚えています。


多趣味だった曽祖父は97歳でしたが
ゲートボールや将棋、盆栽や麻雀など
いろんなクラブの会長にもなって
自分のことは自分でなんでもできるほど元気でした。


❄️ ❄️ ❄️ 



曽祖母の死から約3週間後の
3月3日。


曽祖父は、役所に曽祖母の死亡届を
一人で届けに行きました。


しかし翌日、
そのまま安らかに眠りにつき、
曽祖父は自ら命を絶ったわけでは決してないけれど

その目を覚ますことは
二度とありませんでした。




10年ほど植物状態で
目を覚ますことがなかった
曽祖母のお見舞いにも
定期的に通い続け、

認知症もなく会話もできて
自分の足で動くことができて

最後にしっかり曽祖母を見届けていました。


何も会話ができなくても
もう何も返ってこなくても
曽祖父の中で
曽祖母が生き続けていたのでしょう。



親戚一同、もちろん曽祖父の死は悲しいことでしたが
これほどのタイミングで
後を追いかけるように旅立った曽祖父は
みんなから温かい笑顔で

「おじいちゃん、
ずっとおばあちゃんと一緒にいられるからよかったね」

と声をかけられていたことが私には印象的でした。




曽祖父の中で
大切なものがすごく明確で

大切なもの(正確には大切な人)を
大切にしたまま
眠りについたのだと、私は感じました。


命が絶たれるときと
今、この瞬間の大切なものが同じとは
考えにくいですが

想像できない未来の中にも
想像をして
終わりを描いて、
今、大切にするべきことを見つめ直すこと。


毎日が慌ただしいと
見失いがちですが
そんなことを感じた3月上旬でした。


❄️ ❄️ ❄️ 


SNS集客や女性集客について、更なる知見を高めてシェアしていきます^^いただいたお気持ちは大切に学びに投資をさせていただきます。