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オリエンタルダンス(ベリーダンス)の歴史

オリエンタルダンス(ベリーダンス)の起源は諸説存在しますが、エジプトが発祥の地と言われ、世界最古の踊りとして知られています。

エジプトでは、ラクス・シャルキ(東方の踊り=オリエンタルダンス)、あるいはラクス・バラディ(自国の踊り)と呼ばれ、アラブ圏の女性の間で豊穣祈願、多産祈願・命の祝福として脈々と踊り継がれてました。

現代女性達も、民族舞踊としてのオリエンタルダンスに慣れ親しみ、小さい頃から踊っています。

源と繋がり、命が誕生する場所である女性が持つ子宮周りを使う動きが多く、女性の肉体に沿う柔らかで流線的な動きが特徴的です。

その後、インドから旅を続けたジプシー達が独自の踊りや音楽とアラブ諸国の踊りや音楽を融合させ、路上、お祭り、結婚式などの宴で踊るようになりました。

ジプシーによるプロフェッショナルダンサーと演奏家の登場により、音楽と踊りがエンターテイメントとして発展していき、彼らはガワージーと呼ばれるようになりました。

ガワージーはインドからの語源で歌手という意味で、男性が音楽を担当し、女性が踊りを担当しました。

ガワージーはエジプトの首都カイロに居ましたが、モハメッド・アリ政権時代に迫害され、アッパーエジプトに移動しました。

また、カイロのモハメッド アリ ストリートはエンターテイナーが住むエリアとして知られており、このエリアの女性エンターテイナーはアワーリムと呼ばれ、結婚式などの宴やサラと呼ばれるナイトクラブに雇われていました。

ガワージーやアワーリム達が今のオリエンタルダンサー(職業ダンサー)の起源とよく言われています。

そして、19世紀にエジプトがイギリスに占領されたことで西洋の影響を受け、オリエンタルダンスは洗練されたショー形式として、華やかな劇場でオーケストラと共に踊られるようになっていきました。

20世紀前半に、ダンサー兼女優であったBadia Masabni(バディア・マサブニ)がカイロにナイトクラブ'Casino Opera'を開き、踊りだけでなく、歌、コメディ、マジックなどの上演を始めました。

ナイトクラブが次々と建てられ、飲食と共に踊りなどのエンターテイメントを楽しめる社交の場として賑わっていきました。

バディアは、ステージ上でのショー形式のエンターテイメントに相応しくするべく、踊りにバレエやラテンの要素を取り入れ、群舞や振り付けを採用し、ベール等の小道具や2ピース衣装を考案しました。

彼女のナイトクラブを中心に、現在のエジプシャンスタイルと言われるオリエンタルダンスが確立されました。

また、これ以降、オリエンタルダンサーは、劇場で踊るだけでなく、映画で踊りを披露したり、女優としても活躍し始めます。

同時に、結婚式などお祝いの宴のハイライトとしての役割を担い続けます。

現在でも本場と言われるエジプトの大都市カイロを始め、ベイルート、ドバイ、イスタンブールでショーが行われています。

特に、カイロでは、一流ダンサーと大勢の演奏家で編成されたオーケストラによる華やかなショーを見ることが出来ます。

また、オリエンタルダンスの人気は全世界に広がり、習い事として普及し、ショーやフェスティバルが盛んに行われ、国を超え、性別を超え、認知度が高まり、愛される踊りの1つとなりました。

そして、今尚、時代の流行や特徴を柔軟に取り入れ、常に進化し続けています。

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