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「英会話できます」じゃないバスツアー#3

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>


すっかり「すいた」バスに揺られて、ホバートの港町をゆっくりと進む。予約サイトに掲載されていた案内は見ないことにした。行く先はわからないが、植物園と動物園(ワイルドライフパーク)に行かれればそれでいい、と腹をくくった。大げさなようだが、足(車)を持たない観光客としての、そのためのツアー参加だと思えば十二分にありがたい。

地図で言えば中心から右方面、町の東に向かってバスは進む。別の日にこの近辺を歩くことになるのだが、バスに揺られる間は、海べりの強い風が、どれほど歩くのを困難にするか、わかっていなかった。穏やかな空気しか知らぬまま、タスマニア王立植物園のある小高い丘までわたしは運んでもらう。

駐車場に到着して、わたしたち4人が降りると、Dさんは園内地図のリーフレットをそれぞれに手渡し、時計を気にし始めた。こっちの道を下りるとLily pond 、こっちの道を行くと温室があったり日本庭園があったりするよ(と、わたしの顔を見てにっこりしてくれる)、という案内をした後に「じゃあ午後からのツアー客を迎えに行ってくるから、○×ほにゃららに駐車場に戻ってね」とさらっと言う。え?○×ほにゃららがわかんない! 
「語学あるある」現象なのだが(単純にわたしの脳みそ回線がとてものろいのだが)、一度聞いた時にはなんだかわからないのだけれど、頭の中で反芻しているうちに、突如「あ、聴こえた(わかった)」となる瞬間がある。この時は聴こえたのと同時に、続く会話から状況が理解できた。
答えがten past one とわかればそれだけのことなのだけれど、「置いていかれたらどうやって帰ろう」という方向に頭が動いて、ちょっとしたパニックになる。急いで手持ちの紙に「1310」と走り書きして「here?」と確認すると、同乗のご夫婦の奥様が「そうよ、あなたの理解であってる。心配しないで」と気持ちを汲んでくれた。この一言のなんとありがたかったことか!
こうしてDさんは職務に忠実に(あるいはわたしのコーヒーのせいで遅れて)次のツアーのお迎えに走り(文字通り駐車場内を走ってバスに戻った)、4人は三々五々、園内を散策する方向に歩み始めた。

お天気のよい昼下がり。それほど混んでいない園内は、紅葉の季節。空は高く青く、雲の流れは速い。老夫婦が池の鳥を眺めている、その姿を対岸からぼんやりと眺める。ご夫婦あっての絵画の構図みたいだ。タイトルは『晩秋』・・・なんて、勝手に構図を決めて、「写ルンです」を構える。ここはフイルムカメラに収めたい、穏やかな空気、やわらかな光。いや、しかし、晩秋にカモの親子が池にいるものなのかな、お国柄の違いを季語のような言葉に落とし込むのには無理があるな・・・なんてくだらないことを考えているうちに、池のまわりにいるのは、わたしひとりになった。

静かだった。

池のまわりの「タスマニアの植生」「オーストラリアの植生」「オセアニアの植生」をひとまわり。背の高い草やシダやソテツの仲間に見下ろされた後、ちょっとした広場に出る。ただ黙って、黄色や紅い葉を風に揺らす木々の前に出ると、あぁほんとうに、空が高い。

この植物園のある丘は、一帯が「王立」でつまり英国の支配下の時期には動物園もあった、と説明書きがある。日本で言えば、避暑地の御用邸の敷地内が、今は一般向けに開放されているといったようなものだろうか。過去に「丁寧な扱い」を施された場所は、役目を終え、形を変えても大事にされ続ける。そこには、かかわった人やモノの思いが残り続ける、そんな気がする。
広場に置かれた、上品なしつらえのベンチには、どんな人たちが腰かけたのだろう。ベンチを囲む木々は、あるいはその木々を生んだ老木たちは、どんな話を耳にしてきたのだろう。

今、木々の向こうの幹線道路は大きな橋につながり、対岸にある空港に続いている。国際便こそ通っていないが、世界は近い。行き交う大型車の音が響き、今日も世の中は動いている。迎えに来てくれるバスもあり、助けてくれる人も園内に居る。だから一人きりで取り残されたとは思わない。

あぁ、でも、なんて気持ちのよい「ひとり」なんだろう!
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