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「英会話できます」じゃないバスツアー#9

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>
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帰国後に見た多摩動物園のニュースによると、2頭のうち「ダーウェント」は今年のはじめに死んでいて、残る1頭の具合がよくないということだった。ホバートを流れる川の名が、2頭に名づけられていたことをはじめて知る。そして数日前(10月になってしまった)残る「テイマ―」の訃報を知る。国内でタスマニアデビルに会える場所が、なくなってしまったことになる。
捕鯨の話題もそうだが、動物園に対する考え方はその国の文化背景に依存する。現状「動物園業界的に」(ということにすると)、新たに日本がタスマニアデビルを迎え入れるのは難しいのかもしれない。ことの良し悪しではなく、それが一般的な潮流になっている印象がある。

さて、Bonorong:ボノロン(グ)自然保護区に戻ろう。
入園時に渡されたのは誰の餌か、というとカンガルーのそれである。彼らは動物園的な小さな囲いの中ではなく、広いのっぱらに「放牧」されていて(これが適切な表現なのかどうかわからないが)、来園者の手から餌を食べる・・・ことになっている。が、実は常設の餌場がちゃんと、ある。流れない流しそうめんの通路のような、足の生えた幅広の雨どいが並ぶ餌台を想像してほしい。そして場内のほとんどの個体はこの餌場に、はりついている。おそらく公平に給餌されない個体が出てくるためだろう。
観光客が場内に入ると、そのうち何匹かが「ま、構ってやるか」(どういう訳だかセリフが聞こえるような気がする)といった「どっこいしょ感」をもって、人に近づいてきてくれるような恰好だ。餌場には白い鳥も群がっている。先程、彼らが「ぴゃあぴゃあ」鳴いていたのは、給餌の時間だったからかもしれない。

簡単な鍵状の金具のついた扉をふたつ通って、カンガルーの広場に入る。その時の自分を思い出すと、たぶん見るからに「腰が引けていた」だろうと想像できて、おかしい。カンガルーは、のんきに見える雰囲気ほどは、おとなしくないことを、(あのしっぽと小さな足の蹴りの強さを)過去に実感している。
バス同乗のご婦人が餌をあげる様子を距離をもって眺め、ことわりを入れてから写真撮影させてもらう。そのままそーっと後ずさりしてもいい、くらいに思っていたが、そのご婦人は「写真なら撮ってあげるから、ほら、餌あげなさいよ」とわたしのスマホを持っていってしまう。誤解のないように言うが、これがご厚意であることは、理解している。「だって怖いんだもん」(このまま日本語)とかなんとか、おばさんらしからぬことをつぶやきながら、そっとカンガルーに近づいた。平和な姿を撮影してもらう。
一度給餌してしまえば、少しは慣れる。そしてわたしは調子にのって、近距離でカンガルーのスマホ撮影を始めた・・・かくして、袋ごと餌を奪われていく動画(揺れる空の画像とわたしの叫び声)が撮影されたのだった。写真におさまった、おとなしく給餌される姿とは同じ生き物とは思えない。破かれた餌袋を、申し訳ないが餌が残ったまま、所定の返却箱に返して、カンガルー広場を後にする。

出入口に向かう頃には、ずいぶん日が傾いてきていた。ククバルとかカクバラとか呼ばれる鳥(カワセミに「形が」よく似た鳥。形は相似といっていいが、カラスよりでかい。拡大倍率を間違えちゃった感じがする)や、蛇の檻を眺め、通路を歩いていると、足元を何かが走った。
「あれ、ネズミかな?」
背後から日本語が聞こえた。保護官の説明を聞いていたのは、わたしたちバスツアーの乗客以外にも何人かいた。中にいらした、日本語を話すカップルのようだった。言葉を交わす機会はなかったが。
その生き物は草陰で、手にもったなにかをかりかりと食べていた。トガリネズミの仲間だろうか、走っていた姿だったからか、口先が細長く見えた。「保護されている」わけではない様子、つまり、たぶん野生。
彼らにとって、餌を供給してくれる施設が近くにある、ということがありがたいことなのか、どうか。草陰の彼らに質問できたらいいなぁなどと思いながら、駐車場に向かった。やはり視界は、土煙もうもうで、かすんでいた。
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