PASSION パラナ州へ 最後の訪問地
パラナ州
~日本の野球は素晴らしいから、伝えたい。伝わっていく~
ブラジル野球連盟は日本に事務局がある。日本の事務局長である曽川さん(42)が紹介してくれたのが、2009年7月から海外青年協力隊としてブラジルで野球指導にあたっている豊田さん(28)だ。
豊田さんは南部・パラナ州にあるマリンガで野球を教えている。パラナ州はサンパウロに次いで日系人の多い州だ。ペルーの大森さんが紹介してくれていた親友の黒沢さんはマリンガのそば・ローランジャというまちでお寺を守っている。黒沢さんからは「いつでも来て泊まっていってください」とのメールをもらっていた。
豊田さんがブラジルへ赴任する直前、私は日本で一度会っていた。再会したい。黒沢さんにも会ってみたい。帰国までいよいよ数日。早めに出発したほうがいいだろう。アカデミーから戻ったあと、インターネットでバス時刻を調べ、この日の20時半、バハフンダバスターミナルへ向かった。
夜が明けてバスの車窓を見ると、辺り一面が緑だった。温帯気候のパラナ州は農業が盛んで、コーヒーの主な産地でもあるという。
8時、マリンガのバスターミナルに豊田さんが来てくれた。
この日の夕方にはローランジャへ向かおうと思っていたため、マリンガからローランジャ行きのバスを窓口で尋ねた。
ちょうど良いのはマリンガ19時55分発、ローランジャ22時10分着だった。
豊田さんに携帯電話を借りて、黒沢さんに到着予定時刻を伝える。
「到着が遅くて申し訳ないのですが…」
「いえいえ。では22時にはローランジャのバスターミナルで待っていますね」
1泊させてもらい、明日の夜、サンパウロへ戻ればいい。旅の残りは6日。
豊田さんとマリンガを歩きだす。新興住宅地が広がって、整備が行き届いたまちだった。日本との結びつきが強く、1951年にはマリンガに移民が降り立ち、土地を耕している。移民100周年を記念した日本庭園もつくられている。
マリンガの人口30万人のうち、1万5千人が日系人だという。マリンガでは幅広い年齢の人が野球に親しんでいて、5歳から70歳までの野球人が存在する。しかも軟式でなく硬式だ。70歳のおじいちゃんがピッチャーマウンドからキャッチャーボックスまでの18.44mをきちんと投げ切ってしまうらしいのだ。
野球おばけ。
アリアンサの佐藤さんから聞いた言葉を思い出す。
野球おばけはマリンガにもいた。
練習や試合は主に土日に行われる。マリンガには設備の整った総合運動場があり、野球場も併設されている。グラウンドは3面あり、大会も開催可能だ。プールやゲートボール場、売店もあり、日系人の憩いの場、年を重ねた日系人たちの体をほぐす場となっている。
野球をやるにはお金がかかる。試合が行われるときには会場近くに売店を開き、パステルを売るなどして活動資金を醸成する。それを60代、70代の人たちが率先しているというのだからすごい。
野球から学ぶこと
豊田さんもヤクルト野球アカデミーにはこれまで何度か訪問している。
「行くたびに佐藤先生のオーラと人望に惹かれてしまうんだよね。チアゴとも連絡を取り合っているよ。チアゴはイビウナで監督をやっているでしょ。そこで“高校野球”をやっていたことに感動したね。全力疾走はもちろん、挨拶をきちんとする。チアゴがそれをブラジルでやっているんだよ。必要だからって。選手たちは守備が終わると全力でベンチに戻って円陣組んで、チアゴの言葉を『ハイッ、ハイッ』て聞いている。
チアゴは日系人ではない。しかもイビウナは非日系人主体のチーム。それなのに、日本の高校野球をやっているんだよ。
野球の普及という面で考えたら、すごいことやっていると思うんだよね。その部分を日本のメディアは報道してくれない。留学生が日本に来たら、外国人の助人とか言われてしまう。表面しか見ていない。野球で飯を食うのはものすごく大変。ブラジルではまず無理。だから日本かアメリカへ行って野球で成功する道を探る。地元の先輩がブラジルから日本へ行って、甲子園で活躍している姿をテレビで見たら目標になるでしょ。いいことだよね」
イビウナの日本野球を知る日系人コーチが言っていたそうだ。
「カルデーラは日本人だよ。人間にとって一番大事な時を日本の野球で過ごしたんだから」
「文化とか習慣の違いはあるけれど、野球から学ぶことに日本もブラジルも関係ないよ」
豊田さんはこんな話も聞かせてくれた。
サンパウロにサンベルナードという野球チームがある。クワバラさんという監督は70歳を過ぎた日本人。選手は10歳前後の子どもたち。そのサンベルナードに所属する子どもたちはスラム街・フェヴェーラに住んでいる。学校にも行けないほど貧困な子どもたちだ。彼らが非行に走らないよう、良い人生を送れるように、野球を教えているのだそうだ。野球を教育として捉えている。
グラウンドも何もないところから作って、食事もみんなで食べられるようにする。
そこにあるのは楽しい野球だ。
豊田さんはそんな子どもたちの野球を見て、考えさせられたという。
「目がイキイキしていて、すごく楽しそうだった。勝ち負けにこだわるチームの野球と人生のための野球。どちらが楽しいかってね」
マリンガの野球少年たちは裕福な家庭で育っているため、野球に対する向上心や道具を大切にする心が欠けている。
「自転車でグラウンドに入らないとか、ボールを蹴らないとか、ベンチやグラウンドにゴミを捨てないとか、最初はできなかったけど半年かかってできるようになった。ゴミを自ら拾ってくれる選手も出てきて、それは嬉しいよ。だけどまだできていないのが時間厳守。時間通りに来る子どもはまずいない。礼儀の徹底については親も集めて講習会もしたんだよ。
物も人も同じ。物を作った人がいる。その人のおかげで物が使える。物に感謝するということは人に感謝をするということ。その概念がブラジルにはないんだけど、野球を通じて覚えていってほしい。私生活がきちんとできれば野球もできる」
豊田さんもまた、「甲子園の心」を持つ人であり、求める人だった。
15時、ユニフォームに着替えた豊田さん。
グラウンドに到着するとホースを出してグラウンドに水撒き。続いてトンボを取り出して土ならし。テキパキ動いている。
練習は、というと練習開始の15時半を迎えたが選手が来ない。
と思ったら、自転車でシャーっとやってきた選手がひとり。その後もちらほらとやって来たが遅刻に対する反省の様子はない。明日は試合だというのに。
「オネガイシマース!!」
グラウンドと豊田さんに一礼してから練習は始まったが、動きはのろい。キビキビとは対極にある体の動き。豊田さんが「走れ」と言っても走らない。遠投でボールを落としても、走ってボールを追いかけないのだ。
豊田さんは声を上げて選手たちを叱りつけた。
「失敗しても今はいい。だけど人生ではやり直しはきかないんだぜ。仕事だって失敗したらクビになる。だから練習は一生懸命やらなければ意味がないんだ」
沈黙があり、考え込む選手たち。やがて「野球をやらせてください」との言葉があがり、練習再開。まだまだ動きは鈍いのだが、まずは野球が楽しいと思えるように。やらせられているのではなく、自分からやるように。礼儀を身につけていくように。まずはそこからだ。
豊田さんの派遣任期はまだ一年半近くある。
チアゴくんのような人物が続いていくことを期待したくなる。
「先生」は次なる地へ
18時、練習が終わった。バスの出発時間までまだ時間がある。グラウンドからバスターミナルまでは距離があるが、交通手段がなかった私。佐藤さんという二世の夫婦が車で送ってくれることになった。バスの時間まではウチにいたらいいとの言葉に甘える。
豊田さんにお礼を告げてグラウンドを出発した。
「何もなくて申し訳ないんだけど、お腹がすくでしょうから…」
佐藤さんの自宅でまず、パンとミルクを頂いた。旦那さんは私が取材活動をしていることを知ると、豊田さんのことを“先生”と呼んでいるように、私も“先生”になった。
旦那さんが言う。
「先生、サンドイッチを食べに行きましょう。時間があったらマリンガを案内したかったのだけれど…ぜひまた来てくださいね」
連れて行ってくれたのはマクドナルドだった。出来たてのハンバーガーをあたたかい人たちと一緒に食べるのだから、ファーストフードとは言えないほど美味しく感じるものだった。
バスターミナルまで送ってくれただけでなく、バスが来るまで一緒に待っていてくれる。マリンガは経由地なためバスが遅れているようだ。そんなことも係員に尋ねてくれる佐藤さん。
バスが来ると、
「この人はローランジャで降りるから、着いたら教えてあげてください」
ポルトガル語ができない私を心配して、運転手に伝えてくれた。
もてなしとあたたかい心配りに心があたたまったまま、バスに乗った。
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