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コミュニケーション下手を乗り越えた話

仕事のスタンスに繋がったジャズダンスとの出会いについて、もう少し書いてみる。

ダンスの振り付けは、一人ひとりのいわゆる「振り」と、全体の形である「構成」の2種類の形をかけ合わせて、ひとつの作品を創り上げていく。
身長も体型もダンスのレベルもバラバラの30人が踊るので、そしてそれが揃っていないと本当に見るに堪えないものになるので、振り付け者はそれぞれの個性とクセを見ながら全体のバランスを取っていく。

大学の任意参加の部活なので、誰かがずっと出続けるとかセンターで踊るとかではなく、なるべく全員が満足できるように配慮するのも振り付け者の仕事だった。
当時はほぼ無意識だったけれど、この時から「個性を最大限に活かすにはどうしたら良いのか」という視点が訓練されていったのだと思う。
入部したばかりの1年生でも格好良く見える振りを選んだり、新体操出身の子にはソロでジャンプ技を入れたり、背の高い2人には後ろから出てくる構成で観客を驚かせたり、と1曲の中での工夫が山程あった。

はじめて1曲まるまる振り付けたのは2年生の秋の公演の時。それまでは「自分がいかにプレイヤーとして上手く踊れるか」しか興味がなかったのに、振り付ける側になったとたんに視点が10段くらい高くなった。
表現したいイメージを壊さず、全員で揃えるところは極力簡単にして、でも派手な動きで、全員が一度はセンターで踊って...と考えていくと、これまで知っているジャズダンスの振り付けだけでは足りず、ブレイクダンスやモダンダンス、ミュージカルやバレエといった他のジャンルのダンスも見るようになった。

メンバーのテンションにも気を配った。私は表現したい方向がズレていないかリードするという役割に徹して、最高の1曲にするにはこういうふうに見せたい、と言い続けた。自分より上手く踊れる子には積極的に見本を見せてもらった。それを伝える方法も色々と試し、どうしたら皆の一番良い部分が引き出せるのかいつも考えていた。


面白いものでどの学年も、みんなのハブとなるまとめ役(たいてい部長になる)、小さい頃からバレエや新体操をやってきてスキルが飛び抜けている人アイデアマンムードメーカーの、4つの役割を担う人が必ず存在した。一学年6~10人だったので、もともとそうなろう、と決意してやったというよりも、それぞれが得意な部分をなんとなく把握して自分で役割を背負っていったのだと思う。
舞台を創り上げていくには、これに進行管理(つまり事務)が得意な人がいれば、大抵のトラブルはなんとかなった。

私の役割は「アイデアマン」だった。皆が好んでいる曲調や振りの傾向がわかるので、それと反対のことをあえて選んで実行していった。モダンダンスぽい抽象的な振りを付ける人が多い舞台なら、逆のストリートダンスに似せたものを選んだし、トラディショナルなジャズダンスが多そうだったら、前衛的な「ムンクの叫び」ぽい仕上がりにした。

当たり前のことをしてもつまらない、と思っていた。いま思えば18歳でダンスを始めたスキルの低いダンサーの発想だけれど、自分で踊っていなければダンスのレベルなんてほとんどわからないものだ。

私の振り付ける曲はちょっと変わっているから皆楽しんでくれているはずだ、と思っていたが、もちろんそんなことはなかった。
ある時、舞台が1ヶ月前にせまる中、1年生の子が「辞めたい」と言い出したのだった。

1ヶ月前というと、早い曲は衣装も決まって振り入れもほぼ終わっている状態。ここで1人抜けると参加費の調整からその子が出る予定だったすべての曲の作り直し、なにより同学年で退部の連鎖が起きるのが怖い。絶対に引き止めなければならなかった。

どんな経緯で私が話を聞くことになったのかは忘れたが、部活が終わって夜電話で話をすることになった。入部の時の約束と違う、とか、こんなに時間を取られるなんて思わなかった、とか言っていたのだが、それであれば3ヶ月前にはわかっていたことだ。どうして舞台の直前で言い出したのかを丁寧に聞いていけば、本音は「叱られるのが嫌だ」ということがわかった。

彼女にとっては初めての舞台、本番が近づくにつれてピリピリする空気、振り付けする先輩たちは日に日に焦って態度がキツくなっていく。そこについていけない、と言い出した。私も「振り付けをする先輩」の1人で、たぶん彼女が退部を言い出した主な原因のひとつだったのだけれど、その時の私は自分を責めることはしなかった。これは彼女の受け取り方の問題だ、とはっきりわかっていたのだった。なぜなら、同学年の他の子たちは前向きに楽しんで毎日練習に来ていたし、自分も乗り越えてきた感情だったから。

どうしてもと言うなら止めないけど、ここで諦めたらまだしばらく成長できないんじゃない?きっとまたちょっと辛くなったら投げ出すようになるよ、それでも良いなら辞めたら?でも皆もすごく悲しむと思うから、もう一晩考えてみて、と言って電話を切った。

翌日、部活の前にその子が部室に来て「公演まで続けさせてください」と頭を下げてくれた。
コミュニケーションが下手なことがコンプレックスだった私が、対話することで克服できるんだと信じられた瞬間だった。

次のお話:

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