見出し画像

お金じゃないけど欲は大事


いつも書いてる話も全部そうだけど今日は特に。

私の書く内容に賛同するかしないかは、今読んでる皆さん個々の自由です。私と反対意見の人がいるのも当然です。

が、私の話に出会ってる人は、賛同するかしないかをさておいて、
『自分はこの話を理解する必要があるんだな。』
という認識で読んでみてください。

私の話に出会っているということは、その話の中に気付くべき何かのヒントが隠れているのだと、ご自身の心のアンテナをしっかり立てて読んでみてください。



まずは何度も書いてきてる、

「価値を決めてるのは自分なのです。」

という部分。

例えば5万円のブランド物の財布があったとして、その財布は
・5万円だから価値がある
・ブランド物だから価値がある

どちらでもなく、

[自分が価値を感じているから、価値がある]

必ず自分ありきで、価値が生まれるのだという点は、基本中の基本です。

ところが、現代では、市場におけるマーケティング戦略によって
流行っているから価値がある。』
みんな持っているから価値がある。』
SNS映えするから価値がある。』
などと、どこに価値があるのか全く分からない世界観が出来上がっているのも事実です。

まず、価値基準の主軸を自分に取り戻さなければいけない人は沢山います。



それはそれとして、

[現代の私たちがどんな人でも円滑に消費活動を行えるのは、【お金】という存在があるお陰である]

という部分もフラットに認められる必要もあります。

古い価値観の中で
『お金は汚いものだ!』
『お金儲けは悪だ!』
『お金を欲しがってはいけない!』
といった誤った価値観が蔓延していて、もしかしたら現代でもまだそういったことを訴える人もいるかもしれませんが、
【お金】=悪ではありません

【お金】は【お金】。ツールでしかないのだと、まずしっかり理解しておくのが基本中の基本です。



例えば、魚を釣るのが得意なAさん、筍を掘るのが得意なBさん、マッサージが得意なCさん、全員が円滑に"自分が求める"品、サービスを得られるのは、【お金】が存在しているお陰なのです。

もし世の中に【お金】が存在していなかったら、Aさんが
「マッサージをして欲しい!お礼に魚をあげるから!」
とCさんに提案しても、Cさんが
「すみません、自分は魚が食べられないから受け取れないので、マッサージを施してあげられません。」
と答えざるを得ない世界が誕生してしまう可能性があるのです。

Bさんのように、旬の作物を採るのが得意な人も、もしも【お金】が存在しなければ、冬場など、作物が取れない季節は生活に困ってしまいます。【お金】があるから、旬の内に採取、売って換金した【お金】によって、季節問わず生活できる側面もあります。

より多くの人類が季節問わず安定した生活を送る上で、【お金】というツールが非常に役に立っているのだという点は事実としてありのまま受け止めていなければなりません。感情論で非難するのは見当違いであるということを理解しなければいけないのです。



ここで問題になるのが、【お金】が人工物であるという点なのです。

昔の時代、米や野菜などの作物、"自然に育つもの"が年貢として納められていたこともありました。作物は、人の手を加えて、手間隙かけて育てる必要もありますが、土、水と日光さえあれば勝手に育つ側面もあります。作物自体が自分で育つためのエネルギーを多く保持している物質なのです。

・人の手を加えることを絶対に必要とする【お金】
・人の手を加えなくても育つ可能性もある【作物】

それらの性質は全く異なり、通貨としての価値が圧倒的に異なるのです。

【お金】の方が価値が高いのです。



現代において、通貨の統一が可能となり、人類全体として生き残りやすくなっているのは、【お金】のお陰です。

一方で、逆に高価なはずの【お金】をほぼ100%の人間が扱わなくてはならなくなったことで、発生している社会問題も山積みな訳です。

この本質の部分を捉えている人の数が少ないせいで、【お金】の存在によるデメリットが助長されている、改善されないのだということをしっかり理解すべきだと私は考えています。

米や野菜など、人間の力だけでなく、自然の力をも使って育ってくれる【作物】ではなく、高価なはずの【お金】が通貨として扱われることになったせいで、貧困などを中心に社会問題が無くならない側面があるのは確かです。そういう視点で見れば、お金を通貨にすべきではないような感覚にもなってしまうでしょう。

ところが、先程も書いたように、【お金】があるから、私たちは余暇を存分に楽しめる、という側面もある訳です。

好みの品のみでなく、嬉しいサービスや楽しいレジャーを円滑に体験できるのは、【お金】という統一された通貨が存在してくれているからなのです。

こうして、私たちの欲を満たすために、多くの人間が公平にそれらの権利を得られるには【お金】はとても便利なツールであるという点も、押さえておかなくてはなりません。



私たち人間は、魂的な存在として、
『嬉しい!!!』
『楽しい!!!』
『面白い!!!』
など、様々な感情を自分が満喫することで、幸福な社会を築くための貢献をしている側面があります。

自分が幸せになることが、周りを幸せにするのです。

当然、
『切ない。』
『ほろ苦い。』
『キュンキュンする。』
など、100%ポジティブとも限らない感情を満喫するのも、廻り廻って社会貢献に繋がります。

私たち人間にはそういう性質があるのです。

そんな風に思いっきり感情を味わい尽くしたり、幸せを享受するには、【お金】というものは物凄く良い仕事をしてくれます。

幸せを享受しようとして、物々交換を持ちかけて交渉が成立しなければ、折角の社会貢献のチャンスを逃してしまいますよね。【お金】というものがあるから、

[交渉に失敗するリスクを背負わずに生活していられる]

この部分の理解も非常に重要です。

物質世界の中で社会生活を送るにあたって、幸せを享受、体感、蔓延させるためには、一部【お金】は重要となります。



現代の価値観において
『お金こそが最も重要だ!』
といった歪んだ感覚も蔓延しているからよく分からなくなってしまうのですが、あくまで

[自分が幸せになること]
が一番大切な部分であり、
[自分が幸せになるには、自分の欲を把握していること]
が求められ、
[自分の欲を満たそうと行動すること]
も非常に重要で、
[自分の欲を満たすためには【お金】が大いに役に立つ]

のだと、正しい流れで把握して、社会に良いエネルギー循環を促せるようになることが、我々の課題なのです。

少なくとも、私のこの話に波長が合ってるあなたは、まず本質を捉えることを促されているのだと思って、少し考えてみてください。



自分の幸せを存分に感じきったり、表現することは本当に大切です。

以前にも跳べなくなったノミの話をしましたが、ノミがまた跳べるようになるためには、跳べるノミの群れの中に入れてやることなのです。

幸福を見失った人が幸福を取り戻すには、幸福な人々の中に入る必要があります。そのために、自分がまず幸福になろうと努めることは、立派な社会貢献です。

ところが、偏った思い込みにより
『自分の幸せは、これで良いんだ。』
『自分にとっての幸福はこの程度なんだ。』
と、無理矢理押さえ付けてしまう人、無意識の内に我慢してしまっている人、自分が満足しているんだと言い聞かせようとしてしまう人などが、世の中には沢山いるのです。

全力で幸せを感じられる人は増えるべきだと私は思います。



私はこれまでの話では逆パターンの話の方が多く書いたかもしれません。

『ブランド品を沢山持ってることが幸せなんだ!』
『お金持ちであることが幸福なんだ!』
と、勘違いして思い込んでいる人も沢山いるから、
「本質はお金ではないのですよ!」
と、いう表現をよく書いてきました。

ですが、それもそれとして、
『欲を持つことはいけないことなんだ。』
『質素に生きなければいけないんだ。』
と勘違いして思い込んでいる人も沢山いるんです。

ですが、欲は大切です。自分の心からの欲を満たし、思いっきり満足する経験ができる人は増えなければいけません。私たちは、曇りなき幸福を得られるよう取り組む責務を担っています。

思い込みやブロックに惑わされている場合ではありません。



自分の幸せに貪欲になってみませんか?突き詰めてみませんか?

自分の心からの幸福に1円も掛からない場合もあるかもしれないし、1億円かかるかもしれません。条件はわかりませんが、条件はあくまで条件でしかないのです。ストレートに

『自分は、◇◇が欲しい!やりたい!』

と願える自分になってみませんか?

貪欲に願うことへの恐れを手放してみませんか?

話はそれからなんですよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?