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輪廻転生の捉え方



{2023.04.02の記事}

今日の内容は【ダークSF的な話】なので、
『苦手だな。』って感じたらそっ閉じしてください。

普段より、もうちょっとディ~プな世界観の話になってます。

 

皆様は、【輪廻転生】を信じますか?信じませんか?

私は信じているのですが、その捉え方が独特かと思いますので、それをこれから書いていきます。

あまり深く考えず
『そーゆー考え方もあるんかーへー。』と軽く捉えていただけると楽しめるのではないかと思います。


🔻まず、この話を読んでみてください🔻
ヒカルさんが家路を歩いていると、不慮の事故に巻き込まれてしまいました。
『あぁ、自分はもう死ぬのか…。』
そう思った瞬間、目の前に死を司る神様が現れました。

「生きたいか?」
神様はヒカルさんに問い掛けます。

「生きられるのですか?」
「再び生を与えることはできる。ただし、これまで生きてきた記憶は全て消え、赤子からのやり直しだ。どうする?」
「生きたいです。」

今日もどこかで1つの命が産まれました。

私たち人間は、
《【自分の"今"の生】が初めてであり、2回目以降ではない。》
という証明が誰にもできないのです。

輪廻転生が事実かどうかはどうでも良く、ただ単純に
〖【自分の"今"の生】が初めてであり、2回目以降ではない。と証明ができない〗ことだけが確かなのです。


🔻もう1つの話を書きます🔻
ルイさんは、車を走らせていました。

公園の側を通ったとき、1人の子供がボールを追いかけて飛び出してきました。

『危ない!』
と思ったルイさんは必死でハンドルを切ったところ、運悪く通り掛かった通行人に衝突してしまいました。

パニックになるルイさん。

近くで事故を目撃していた人たちにも手伝って貰いながら、何とか救急車や警察を呼び、被害者の無事を祈りましたが被害者は亡くなってしまいました。

数ヶ月経ち、ルイさんは故意では無いにせよ、人を殺してしまったという事実が受け止められず、遂に自殺を図ってしまいます。

意識が遠退くルイさんの元に、死を司る神様が現れました。

「死にたいか?」
神様はルイさんに問い掛けます。

「私は、自分の行いへの自責の念が苦しくて苦しくて。耐えきれません。どうか、死なせてください。」

「死なせることはできる。ただし、お前はお前が生んだ業を摘み取らなければいけない。だから次は、お前が誰かから殺されるという運命を持って生まれ変わる必要があるが、どうする?」

「それで罪を無かったことにできるのなら、そうしてください。」

今日もどこかで1つの命が産まれました。

この、
《ルイさんの転生先がヒカルさんではない。》
っていう証明も、誰にもできないんですよね…。

〖ルイさんの転生先がヒカルさんである可能性は0%ではない〗んですよ。

ちょっと面白くないですか?


🔻ではもう1つの話です🔻
アユムは、1人公園で遊んでいました。

そこへ、おじさんともお兄さんとも、おばさんともお姉さんとも捉え難い、1人の人が現れました。

「少しお話をしよう。」
「あなたは誰ですか?」
「神様…とでも言っておこうかな。そんなことより、君はね、過去生で自分の罪から逃げてしまったことがあるんだ。」
「どういう意味ですか?」
「君が産まれる前に生きていたときにね、わざとじゃないんだけど悪いことをしてしまったんだ。その行いについて、考えたり、向き合わなきゃいけなかったんだけど、考えられなくなっちゃったことがあるんだよ。」
「悪いことをしたら、謝ったり、反省しないといけないと思う。」
「そうだね。それじゃあ、これから何か悪いことをしてしまったとしても、ちゃんと謝ったり、反省したり、できるかな?」
「悪いことなんて、しないようにする!」
「そうだね。悪いことをしないようにする気持ちはとても大事だね。でも、もし悪いことをしてしまったら、どうする?」
「ちゃんと、謝って、反省する。」
「約束できる?」
「約束する!」
「よし、それじゃあ、一緒に遊ぼう!」

そう言って神様はボールを投げてきました。

嬉しくなったアユムは、ボールを受け取り、投げ返した瞬間、もう神様の姿はどこにもありませんでした。

アユムは驚きながらも、ボールが道路に飛び出してしまったので、慌てて追いかけます。

すると、そこへ車がやってきました。

『危ない!』
アユムはギュッと目を瞑ると、車のタイヤが擦れる音、激しい衝突音、近くにいた人たちの悲鳴などが聞こえます。

恐る恐るアユムが目を開けてみると、車は自分を避けた衝撃で公園の塀に衝突していました。

そして、車と塀の間には1人の人が倒れています。

近くにいた人、運転していた人は電話を掛けたり、倒れている人に声を掛けたりと慌ただしく動き始めました。

その情景を見て、アユムはただただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。


神様…子供にも容赦ないですね。

まぁ、この話は全て私のフィクションなのでご安心ください。

ヒカル、ルイ、アユム

それぞれ単体の人生として捉えると、皆それぞれが【救い用の無い世界】に生きてるように感じた方もいるかもしれません。

しかし、
ルイがヒカルに生まれ変わり、
ヒカルがアユムに生まれ変わったように、
《自分が1人でそれぞれの立場を経験した訳ではない。》
と、いう証明は誰にもできないんですよ。

ヒカルはルイだったかもしれないし、
アユムはヒカルで、ルイだったかもしれない…

誰にも、
《他人が存在している。》
という証明も、できないのです。


普段生活していて、
『ムカつくー!』と感じる相手に出会うことはあると思いますが、その相手が
《自分の前世ではない。》
という証明は誰にもできないのです。

不思議な話ですよね。


私は、そんな風に
『今、この目の前にいる他人は私の前世ではないと絶対に証明できない。』と考えると、どんなに腹が立つ相手だったとしても[怒っている自分]からスッと意識を反らすことができるのです。

勿論、モヤモヤは続くときもあるし、意識を反らそうが許せないときは許せないという場合も多いです。

ただ、目の前の人が
『自分だった人かもしれない。』
『未来の自分かもしれない。』
という目で見てみると、それまでより心のキャパシティは広がるのを感じられます。

[瞬発的な怒りに任せて反撃したり、仕返しすることがいかに無駄な行為なのか]という部分だけはしっかりと腑に落ちているのです。


有名な、イエス・キリストの教え(言葉)の1つに
「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい。」
というものがありますよね。

私がその言葉を引用するなら、
「右の頬をぶたれたら、ぶった相手は自分だったかもしれないと思いなさい。」
と言うでしょう。

『【他人】に傷付けられた。』と思うから余計に腹が立つのであって、
『【自分】で自分を傷付けてしまっているのかもしれない。』と考えると、相手ではなく自分の今後の考え方や行動を省みるようになるはずです。

また、
[右の頬をぶたれて左の頬も差し出す]
というやり方は、
[相手の攻撃に反応し、受け止めている状態]
です。

しかし、右の頬をぶたれて
『もしかして、自分が自分を傷付けているのか…?』と斜め上な方向に意識を向けることは、
[相手の攻撃を受け取っていない状態]
になるので、自己犠牲を防げます。


お釈迦様が歩いている時に、やたら罵ってくる男がおり、お釈迦様はずっとシカトを決め込んでいた。

しばらくしてお釈迦様が
「もし、あなたがプレゼントを送って、受け取って貰えなかったら、そのプレゼントは誰の物だと思う?」
と男に問うと、
男は自分の過ちに気付いた。

という、これまた有名な話がありますが、この話と同じことで、攻撃も[受け取らない]という選択ができるのです。

その方法が、[意識を反らすこと]なのです。


私は、別に輪廻転生が本当にあるかどうかは興味がありません。

しかし、
《自分は生まれ変わってきていない。》
という証明ができない以上は、
『輪廻転生してきた可能性が高い。』と思いながら生きています。

他の人が輪廻転生を信じようと信じまいと、そこにも興味は無いのですが、
『目の前の他人は自分だったかもしれない。』という考え方を頭の片隅に置いておくと、無駄な怒りに振り回されずに済みますよ◎

と、1つの例として書いておきたかったのです。


『目の前の他人は自分だったかもしれない。』という考え方って、[相手の立場になって考えてみる]きっかけにも繋がりやすかったり、無駄な争いも減らせる考え方だと思うんですよね。

攻撃されて、泣き寝入り…
ではなく
攻撃を受け取らない

という選択をできる人が増えることで、加害者、被害者双方を減らせる考え方でもあるんじゃないかって。

だから、この話を読んだ皆様は
『自分だったらどう考えるかな?』って少し考えてみて欲しい内容でもあります。


途中、キリストの話を挙げましたが、本来キリストも
「他者からの攻撃は受け流しなさい。」
みたいなことを教えたかったんじゃないかと思うんですよ。

でも、一般的な人の意識のままだと、右の頬をぶたれて左の頬を差し出したら、どうしても[攻撃に反応して受け取るだけ]になりがちじゃないですか。

〖キリスト自身も、右の頬をマジでぶたれたら怒った〗
なんて話もあったりして、何がどこまで本当の話なのかは分かりませんが、私個人的には[攻撃に反応しない人が増える]のが良いと思っています。

そもそも、攻撃する人がいなくなってくれるに超したことはないのですが、精神的な攻撃に困っている方は、ちょっと参考にしてみてください◎

おわり


あって欲しくはありませんが、現実世界で暴力を振るわれたら、反撃することが大事な場面もあるんですよね…。

暴力を振るう、人のことをナメてかかってくるような残念な人間には[反撃するだけで怯むチキン]も少なくありませんので、

一方的に攻撃を受け続ける必要はどこにも無い

んだと、広く伝わると良いなぁって思います。


身体的暴力は、絶対に良くない。

絶対に良くないとは思いつつ、現代の法律では事実上[手を出された方が訴えやすい]んですよね…。

精神的に攻撃してくるヤツらは[暴力を振るう人間より汚いところがある]と、私は感じます。

[どうせ、どこにも訴えられないこと逃げ場が無い]ことも分かった上で攻撃してきますからね。

何が怖いって、攻撃してる本人は『自分は愛情を与えてるだけ』だと思ってるところです。
↑こういう人からの被害受けたことある人って、あんまりいないのかな?

そんなことなさそうだけど、こういう【精神的な虐待のヘルプライン】って少なくないですか?私が調べてないだけなのかな?

とにかく、精神的な虐待に逢ってる人には特に【受け取らない】っていう防御魔法が使えるようになると良いなって思います。


それはそれとして、またややこしい話にしていくんですけど、
他人は自分の一部なのだから、何しても良い。』的な酷い思想もあるんですよね…。

私、サイコキラーってそういうことだと思ってて、一般的には
「サイコパスは他人の気持ちが理解出来ない。」
って言われること多いですけど、私は[サイコパスは自分と他人の境界線が分からないから、侵略しちゃいけない境界線が分からない]んじゃないかなって。

そういう人には、境界線っていう概念は持って欲しいトコありますよね。


いずれにしても、人と人が傷付け合わずに済む世界に私は住みたいです。

これ以上、攻撃的な人間と出会わずに済みますように。

安心して眠れる人が1人でも増えますように。


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