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行き止まり


私には大志など無い!


前からよく書いてますが、私は子供の頃から
「○○になりたい!」
「大人になったらこんな仕事がしたい!」
などの夢や目標が全くありませんでした。

この様に夢も目標も持てなくなった要因は、本当に幼い頃から、
「私、○○になりたい!」
「私大人になったら○○したい!」
などの夢や希望を語る度に
「そんなの無理に決まってるじゃん。」
「そんなことできる訳無いでしょ?」
「あんたは何でそんなにまともな目標持てないの?」
と、逐一理想を打ち砕かれ続けたことで、身体が、大きい夢や理想を持つことを拒むようになってしまった部分にもあります。

何とか絞り出しても誰にもその夢や目標を応援されたことも無く、むしろ冷ややかな目で
「ふーん。」
と流されるだけだったり、学校の友達からもバカにされることを繰り返す内に、私の心は閉ざされてしまった訳です。



それなのに、学校では
「将来の夢を書きましょう!」
という課題だったり、ある程度の年齢になれば進学先の進路を決めさせられる。

「ここに行きたい!」
と言えばダメだと言われる癖に、
「この学校にしなさい。」
と言った提示がある訳でも無く、私は
【自分の理想の進路】
ではなく
【親のお眼鏡に叶う進路】
を探させられ続ける10代を過ごしてきたのでした。

辛かった!

【自分の理想】
ではなく
【親のお眼鏡に叶う夢】
を探させられ続ける

この辛さ、しんどさを理解してくれる人すらまともに出会えず、不遇な10代を過ごしたなぁ、と思う訳ですよ。



ですが、そんな人生を変えるべくコツコツと精神世界のことや、現実創造させるための学びを深めるべく、なかなか頑張ってきた方かと思います。

数年前のある時から、
『私もある意味菩薩なんだな。』
と、思うようになりました。

菩薩ということは、即ち如来になることが目標な訳で、大志が無いというのはある意味誤りなのかもしれません。

しかし、如来になるというのはあくまで精神世界的な話であって、こうして肉体を持って地球を生きる上では、ある程度現実味のある行動を起こしたり、結果を出すことも必要な訳ですよ。

だから、大志こそ無くとも、勉強や仕事をする上では色々と目標を持って、その目標に沿った行動、目標を達成するなども取り組んできました。



そうして生きてきた中で、人生には

[現実的な行動を何をやっても上手くいかないとき]

というものがあることを実感しました。

これは本当に些細なことであっても、何もかもが上手くいかない時期で、なかなか苦しいものでした。

まぁ今もまだ完全に抜けきっていないのですが、現実的な計画や遂行が一切上手くいかず、精神世界と向き合わざるを得ない時期でもあって、様々な気付きと学びを深めては次の精神的な課題が降ってくる…ということを繰り返しているのです。



多分、RPG系のゲームをイメージすると分かりやすいと思いますが、行ってみようとした道を進めず、引き戻すしか無かったり、必須アイテムを入手してからでないと進めないルートを辿るのに似ています。

何かを叶えよう(得よう)とすれば上手くいかず、自分の考え方を変えるしかないこと。

気付かなければいけない学びを深めなければ楽になれないこと。

など、まるで自分はゲームのアバターなんじゃないかとさえ思えてくるのです。



この時期に突入した初めの頃は、現実が上手くいかないことで妙に焦ったり、どうしたら上手くいくのかと悩んでも仕方のない部分で悩んだり、これはこれで憂鬱な時期でした。

でも、こうして気付いたことをブログに書きながら地道に自分の精神をクリアにしてきて、最近感じるんです。

[現実的な行動を何をやっても上手くいかないとき]
というものは必ずあるし、そういうときは
[精神性を磨くとき]
であるということと、
[どんなに些細なことであっても『あれ?上手くいってないな?』と気付くことが非常に大事な時期もある]
という部分です。

かつて私も、現実的なことが上手くいかずに焦り散らかして無駄に疲弊もしていたのですが、
『案外私は、現実面が上手くいっていないことに気付くことが上手いタイプなのかもしれない。』
という気がするようになってきたんですよ。



人生に失敗というものはありません。

何かしらの"結果"を見て、
『失敗した!』
と考えるのは、そう考えている本人だけの問題であって、その失敗したと感じる出来事は、単純に新しい可能性を開いたに過ぎない現象です。

とは言え、現実的な行動、その結果を見て
『このやり方は誤りだ!』
ということに気付くことが大事なときもあります。

『誤りである!』という判断が早ければ早い程、引き返すエネルギーも比較的少なくて済むのです。



表現が少し難しいですが、人生で、遠回りするも良し、ショートカットするも良し、ではありながら、
『このやり方(考え方)は誤りだ!』
と、認めることが大事なときもあるということなのです。

私たち人間はどうしても自分の考えが凝り固まって、その考えに固執してしまいやすい生き物ですが、常に
『もしかすると、やり方(考え方)を変える必要があるかもしれない。』
と頭に置いておけることで、悩みや苦しみの方向へ向けるはずだったエネルギーを幸福の方向へと素早く転換させやすくなるということです。

自分のエネルギーを幸福の方向へと転換しやすい人は、周りを幸せにできる力も大きくなります。



未だに、大志の持てない自分に対して
『私の人生はこれで良いのかな?』
と、迷いも拭いきれてはいませんが、如来になるにはこうして人間ゲームの攻略方法を知っておくことも大事なことなのかもしれないとも思うのです。

そのためには、こういう地味な学びも細かく拾うことが必要なのかもしれない、と今はただ精神面の変容のウエイトの方を重く置かざるを得ない現実を認めるしかないのだと諦めています。

人生の行き止まりにハマってしまって、辛い誰かが楽になるヒントになれば良いかと思います。

必要な人に届きますように


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