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大人講座


アメブロ時代から、たま~に物凄く失礼な物言いのコメントを書かれることがちょこちょこありました。

私のブログは、スピリチュアルな内容に触れている話も多いし、読んでくれている人に語りかけるような言葉で書いているのでフランクに感じてくれている人も多いのかもしれません。

多分その辺の理由により、スピリチュアルに成通した人から、妙に上から目線なナメられたような言い方のコメントを書かれることが何度かあったんです。

ですが、私はブログで何度も書いてきたように、エンパスです。繊細なタイプです。コメントを読めば、大体その人の心理をリーディングできてしまうので、
『あぁ、このコメ主は、無自覚の意識下で私のことを格下認定してるんだな。』
の、ようなことを察知してしまいます。だから、良い気はしないんですよね。

とはいえ、この手のタイプには
「その発言、失礼な言い方ですよ?」
と、いう部分を伝えることが一筋縄ではいかないということも分かっているので、ずっとその失礼な態度に対して何も言及せずに流してきました。

ブログだけでなく、現実生活でもたま~にいますよね。

私だけでなく、世の中には
『うわぁ…この人失礼な物言いするなぁ…。でも、言ったところで解らないんだろうなぁ…。』
と、呆れというか、哀れみというか、モヤモヤしながらも放置するしかないような相手に困ってしまっている人、沢山沢山いると思うんですよ。

もしくは、誰にも何も指摘して貰えずに気付けば周りから人がいなくなってしまったような、知らずに失礼な物言いをしてしまってる側の人もいるでしょう。

とにかく、どうしようもなくて困ってる人がスッキリできるようなヒントを色々書いておくので、必要な部分をキャッチしてください。



●スピリチュアルよりも先にマナーを学べ●

私は過去に秘書検定3級と2級を取りましたが、あの内容は本当におすすめです。受験せずとも、内容を理解することをとてもおすすめします。

というのも、
『不幸から抜け出したい!』
『幸せになりたい!』
などの思いから、スピリチュアルなことに興味を持つ人が多いと思いますが、不幸を感じる原因に、人間関係の不和が大きく紐付いている場合が多いはずです。

学校や職場などの公的な場面においては、言葉遣い、態度を変えるだけでかなり簡単に、そして目に見えて周りとの関係性を改善できます。

『スピリチュアルなことを"学びたい!"
と考えているのであれば、秘書検定やマナーなど、現実世界面のことを"学んで"習得した方がよっぽど目に見えた成果を感じられるので、本屋で教本などに目を通してみることから始めてみると良いと思います。

「見えない、高次元の世界と繋がって~…」
よりも、【目の前の人間】と繋がって大事にすることの方がよっぽど使命を果たせます。社会貢献です。

スピリチュアルなことを"学びたい"と考えるような人ほど、

[目の前の人間を大事にできない人間が神様を大事にできるはずがない]

のだということを留めておくことをおすすめしますよ。



●言葉を大事に●

スピリチュアルなことが好き、得意で、そういう世界にハマる人も多いでしょう。全員がそうとは言いませんが、元々スピリチュアル能力が高い傾向にあるタイプは
・子供の頃から周りと同じようにできなかった
・勉強が苦手だった
・叱られてばかりだった

などの境遇で育った人が多いと思います。私も毒親育ちだと実感しているタイプですが、多くの場合
[強い劣等感を抱えたまま大人になってしまった]
ような人が多いと思います。

ですが、スピリチュアルな能力が高い人ほど
【万物から愛されて然るべきの自分】
【何をやっても怒られてばかりの自分】

という両側面を並行して持ち合わせているので、妙に自信満々な側面も強いんですよね。

その、劣等感満載なのか自信満々なのか訳の分からない状態のまま育っていくと、
【何をやっても怒られてばかりの自分】
を見ないように蓋をしてしまって、自分の過ちを絶対に認めない人間になっていくことが多いのです。

そうなると、他人からの指摘が一切意識に届かなくなったり、言い訳ばかり達者になったり、ハッキリ言うと職場なんかでは物凄く迷惑な態度になることも増えます。当人は当然
「自分にはこういう理由があったから…」
と、弁明しているつもりなのでしょうが、ただの屁理屈を述べているだけだったり、態度が許される理由にはならないような理屈をでっち上げているだけなのですが、それが屁理屈であるということが通じないんですよね。

この手の拗らせタイプは、強い劣等感から
『自分は勉強が苦手なんだ、だからやらない!』
と、いう風に頑なに現実的な勉強を避ける人も多いです。

『勉強してもやっぱりできなかったら嫌だ。』
という思いや
『「だって勉強してないんだもん、できなくて当然でしょ?」と、いう逃げ道を残しておきたい。』
と水面下で画策しているからです。本人が自覚しているかどうかは人それぞれでしょうが。

こういうタイプは、正しい言葉を学ぶことからも逃げ続けるでしょうが、正しい言葉を扱う、語彙力を高めることは自分を大事にする上でとても大事なことだということを皆さんにはお伝えしておきます。

自分の感覚や状態を正しく捉える上では、正しい言葉を扱えることがとても優位に働くのです。

例えば
『お金が無いのが嫌だ!』
と、自分が考えていると思い込んでいたけど、実は
『お金が無いことに不安を感じるのが嫌だ!』
と、いうケースが世の中には多いです。

ところが、[不安を感じる]という概念や言葉の意味を知らない人は、
『お金が無いから嫌なんだ!』
という考え方から抜け出しにくいのです。

[不安を感じる]という概念を深く理解している人であれば
『そうだよね。今、自分は不安を感じてるだけなんだ。不安を感じてしまうのはなにも[お金が無い]という状態が原因とは限らないよね。』
と、問題点の元凶を探り出すために別の発想へ繋げやすくなります。

[不安を感じる]という概念が分からない人にとっては、
【自分が抱えている不快感】=【お金が無いこと】
という方程式を崩しにくいので、頑なに
『お金が無いから、自分は嫌なんだ!』
と考え続けてしまうのです。そうなると、いくら稼いでお金を沢山得たとしても【自分が抱えている不快感】を感じる度に
『お金が無いからだ!』
もっと…もっと…とお金を得ることに固執することを続けてしまい、一向に解決できない事態になってしまうのです。

分かりやすく例えるために[不安を感じる]というかなり単純な感情で書いてみましたが、
「痛み入る」
「快哉をさけぶ」
「訝る」
などなど、使いこなせる表現が多ければ多いほど、自分をスッキリさせられる、要は目の前の問題と対峙して解決に導くヒントを得やすくなれるということです。

残念ながら、勉強コンプレックスや劣等感が強い人が、難しい言葉や複雑な表現する人を見て
「性格が悪い。」
だの
「難しい言葉を難しいまま使うのは頭が悪い。」
だの、嫌味を言うことも多いですが、こういう言葉は真に受けない方が良いでしょう。知識をひけらかすのではなく、自分の感情や状態を正しく捉えるために言葉を学ぶことは大事にするべきです。

スピリチュアルなことが好きならば尚更

[言葉ごときを上手く扱いこなせない人間が魔法を扱いこなせる訳がない]

と理解しておくと良いでしょう。



●感謝と謝罪を見直して●

『ありがたいなぁ。』
『嬉しいなぁ。』
と思ったときは、ドストレートに
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」

と伝えると良いですよ。

何を至極当然のことを…と思う人も多いと思いますが、「ありがとう。」を言えない人もまぁまぁいるんですよね。

私はこれまでブログのコメントで
「感謝、感謝。」
とか書かれたこと、何回かあるんです。信じられます?私のブログは文字数が多いものが多いです。文字数が多いということは、ブログを書くのにそれなりに手間暇かかっている訳ですよ。文字数が少なくても、シンプルに表現するために色々と工夫はしてるんです。そんな私の作品に感謝の意を感じたのであれば、シンプルに
「ありがとう。」
って言ってくれよ、と私は思いますね。

「感謝しています。」
という言葉は、感謝の意を感じた側のただの感想です。

「ありがとうございます。」
という言葉は、有り難いことを感謝していることを相手のために指し示している言葉です。

「ありがとう。」という言葉の方が、相手への労いの意が含まれるんです。なので、目上の人は勿論のこと、知らない人、関係性が浅い人相手には下手に難しい言葉を使おうなどとせずストレートに
「ありがとうございます。」
って言った方が良いんです。

「感謝いたします。」
と、表現されるのであればまだしも、
「感謝、感謝。」
「感謝です。」
って…雑に間違った日本語並べ立て奉られても、感謝の意なんて一切感じません。

恐らく、そんな細かいこと一切気にならない人は気にならないとは思います。ですが、私のように繊細だったり、言葉を大事にしている人は気になるでしょうし、気になる人が一定数いることは知っておいて良いのではないでしょうか。

たった一言
「ありがとう。」
が言えないだけで失うご縁は確実にあるものです。

『申し訳なかったなぁ。』
『悪かったなぁ。』
と思ったときは
「すみませんでした。」
「申し訳ございませんでした。」

と、言えた方が良いですよ。

「ごめんなさい。」
という言葉は、相手に赦しを乞う言葉です。申し訳ない意よりも先に「自分を赦してください。」の意を伝えるニュアンスの強い言葉です。

「すみませんでした。」
という言葉は、[済まないことをした]という事実を自覚していることを示す言葉です。

「申し訳ございませんでした。」
という言葉は、申し訳が立たないこと、言い訳のしようがないことを自覚した上で深く反省の意も含んだ言葉です。

大人として社会で生きる上では
「すみませんでした。」
「申し訳ございませんでした。」
と、ただただ自分の非を認めている表現を選ぶと良いでしょう。

「赦してね。」
と、押し付けて良いのは友達やせいぜい親戚など、近しい関係性に留めておくようにした方が、様々なシチュエーションにおいて自分の誠実性を認めて貰いやすいということを覚えておくと良いと思います。

「ありがとうございます。」
「すみませんでした。」

たかだかこれらの言葉が言えない原因として、プライドの高さを含んでる人も結構いるようです。お礼や謝罪を述べることが自分を格下へと下げてしまうことだという意識がある人がいるらしいのです。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

この言葉をじっくり見直してみて欲しいところですね。

スピリチュアル界隈でも
「感謝しましょう~。」
などと唱える位なら、感謝の言葉の意味を理解することから始める位すれば良いのに、と、私は思います。

[感謝と謝罪、人間関係を構築する上で基本中の基本であるこれらをできてない人間が、他者と上手く関係を築けないのは当然である]

と、自戒すべき人は世の中に大勢いるということ、考え直してみても良いのではないでしょうか。



●ネットリテラシーについて考えませんか?●

これも、アメブロ時代から、たまに私の書いた記事がリブログされること、ちょこちょこあったんですよね。

他人のブログ(動画)のリンクを貼って紹介する

これ自体は別に著作権の侵害にも当たりません。ただし、批判的な紹介など、場合によっては法に触れることもあるという部分は基本として押さえておくと良いと思います。法律としての観点で見れば、原則リブログに何の問題も無いというのは事実です。

モラルの話。

一番良いのは、ブログの筆者さんに一言
「紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」
確認を取ることでしょうね。

その次に良いのは、勝手にリンクを貼って紹介した上で記事上に
「もしも、不快な場合は対応させていただくので御一報ください。」
など、添えておくことですね。

その次に良いのは、勝手にリンクを貼って紹介した後で
「リンク、貼らせていただきました。」
など、筆者に連絡すること…でしょうか。私個人的には事後報告ってどうなん?と思うところもありますが、まぁ一言伝えるという誠意は大事でもあると思います。

↑この辺はモラルの話です。別にこういうことをやらなければいけないという法律やルールはありません。が、こういうことをしない人に対して不快に思ってる人が一定数いることは理解しておく方が良いと思います。

ブログや動画って作品、著作物じゃないですか。【作った人の作品】なんですよ。それらを見ず知らずの人に勝手にシェアされることを良く思わない人は一部います。

『わざわざ紹介してくれて嬉しい!』
と思う人もいるでしょう。
『ちょっと、勝手に紹介しないでよ!』
と思う人だっているんです。

極端な例え話をしますが、【女性の身体についてのアレコレ】を書いた記事があったとして、その記事が、男性にリブログされた…としたら、結構気持ち悪いものだと思うんです。(気にしない人もいるかもしれませんが。)

本当は、困っている女性のために書いた記事だったはずが、男性に紹介されたことで『性を売ってる』ように捉えられる…みたいな感じで、法律とかモラルとかに表面化しないような風評被害を生む可能性もあるという点を理解している人は増えた方が良いと思いませんか?

これも皮肉なことに、私はスピリチュアルな内容に抵触する記事もよく書いてきたので、スピリチュアルなことが好きな人からリブログされる経験の方が多かったのですが、こういうタイプこそ
『他人が書いてくれた、良い記事~☆』
ではなく、
自分が見付けた、良い記事~☆』
という感じで、筆者を蔑ろに扱っている雰囲気満載で、何かと微妙な心境になることが多かったんですよね。

こんなネットという無法地帯の、しかも無料ブログという環境下の、さほどフォロワー数もいない私があれこれ言う気になる訳でもないのですが、地味にモヤモヤする経験をちょいちょい繰り返してきました。一所懸命綴った記事であっても、ただのシールみたいにペタペタと…。

今までは
『まぁ、ネットやし、しゃーないわな。』
って流してたんですけど、最近、全く関係ないことでも色々と考えることが積み重なって、ブログに対しても嫌な思いが爆発しております。

これから益々、人間ではなく、AIなどがネット内に増え続けると思うので、【ネットで繋がってる向こう側にいる相手】のことを【1人の人間】として捉えられなくなっていくのではないかと思いますが、改めて【通信を介した他人との付き合い方】は見直せる人は増えても良いと思います。

まぁ…これから先ネットに触れない人の方が増えると私は予測してるから、どうでも良い気もするんですけど、

[普段のネットでの態度が、社内外のビジネスメール上なんかでも出るから気を付けておくに超したことはない]

と、いう側面もあることは書いておこうかな、と思ったんですよね。



●読んでなくても書ける感想なら要らない●

前にもチラッと書きましたが、私が一番嫌いなやつです。

「参考になります。」
「勉強になります。」
「興味深い記事でした。」
こういうの、ほんっとに嫌い。

「読んでません!」
って言われてる気分になるんですよね。いや、分かるんですよ。書いてくれてる人的には
「読みました!」
みたいな感覚で愛情表現的な気分で書いてくれてるのでしょうけど、読んでなくても書けるような感想なら書かない方が良いですよ。

感想を書きたいなら
「○○っていう言葉、その通りだな、って思いました。」
みたいに、気になった点を具体的に書いてあげた方が、筆者に思いは届きます。

これも前に書いた話ですが、
「参考にしてください。」
は、筆者側がへりくだってるだけで
「粗茶ですが。」
って出してるお茶と同じです。

「参考になりました。」
は、
「粗末なお茶でしたね。」
と、返してるのと同じです。失礼なんです。どうしてもそんな感じで言いたい場合はせめて
「勉強になりました。」
にしましょう。私は嫌だけど。

ですが、YouTubeみたいな、コメ欄がオープンになってるところでは、下手に内容に抵触して不用意にネタバレを書くのは良くないという点は押さえておくと良いかもしれませんね。

コメントが沢山ある=反響がある作品
みたいな感じで、運営側の判断基準にしたいだけ

運営側から評価されたいからコメント"数"が欲しいだけ
こういう流れで
「コメントください☆」
って言ってる発信者も多いんです。

当然、
「ファンの皆さんと繋がりたいから、コメントください!」
っていう発信者もいるでしょう。

と、いう中で
「別にコメント無くて良いけど?」
っていう私みたいなタイプもいること、知って欲しいところがあります。

難しいですね。別に
「コメント書くなー!!!」
とか
「お前らと繋がりたくないわー!!!」
っていうこととも違うんですけど、先ほど書いたような、内容を読んでなくても書けるような感想を書かれると
「見ました!読んではないけど!」
って言われてる感覚になるから、嫌なんですよね。私はね。

他にも色んな人はいるとは思うんですけど、確実に
『発信者は全員コメントを貰ったら嬉しいはず!』
っていう想定は間違ってるという点だけは一旦見直しておくと良いと思いますよ。

何においても、
「この作品の◇◇なところに感銘を受けました!」
程度の、自分のお気に入りポイントをピックアップして伝えられるスキルは色んな場面で役に立つので、気にしておいて損は無いはずです。

そのスキルを会得するためにトライして失敗して…って繰り返してしまうのは、悪いことだとは私は思わないので、書くのを止めるのではなく、書き方を変える方向で考えてみられる人が1人でも増えると良いなって思ってます。

[さりげない気遣いを節々に宿せることが、幸せなコミュニティや社会を創る礎になる]

疎かにしがちだけど、大事なことです。



●嫌なことは嫌だと伝えなければならない●

このセクションの話はちょっとハイレベルな話に突入するかもしれません。

人はみんなそれぞれ、様々なフェーズにいますが、ある地点で
[自分が嫌だと感じていることをハッキリ相手に伝えなければいけない]
という課題にぶち当たる可能性があります。

と、言っても、喧嘩腰に伝える必要はないんです。
「すみません、その言い方、不快に感じるので、止めていただけますか?」
交渉すれば良いのです。

日本人の苦手な"交渉"です。あんまり日本の文化に交渉は根付いてないので、イメージが湧きにくいかもしれませんが、いつでも何でも、自分が不快に感じたときは
「それ、止めてもらえませんか?△△に変えてもらうことはできませんか?」
など、交渉する感覚で伝えることを身に付ける必要がある人もいるので、書いておきます。

とはいえ、交渉という感覚が乏しいコミュニティ内では、
「それ、止めてもらえませんか?△△に変えてもらうことはできませんか?」
と、発言したとしても勝手に
『批判された!』
としか取られない場合も多いかもしれませんが、めげずに
「不快なので、止めていただきたいのです。△△なら大丈夫です。△△に変えてもらうことは可能ですか?可能ではないのですか?」
少し機械的過ぎるかもしれませんが、あくまで
「これは交渉です。」
というスタンスを貫くことを学ばないといけないフェーズの人がいると思うので、ピンときている人は気に留めておくと良いでしょう。

私も、先々月辺りから妙にこの
[自分が嫌だと思うことを素直に嫌だと伝える]
訓練をさせられていて、正直しんどい側面があります。

恐らく私と同じように
『私が言葉を飲み込んでおけば、この場は丸く収まるよね。』
と、空気を読んだり我慢したり、状況判断することが強く癖になってしまっている人ほど、この課題とぶち当たると思うので、試してみてください。

繰り返しますが、嫌なことを「嫌だ。」
と伝えるのに、何も喧嘩腰になる必要はないという点はしっかり押さえておくと良いです。

しれ~っと、ナチュラル~に、ハナホジ感覚で
「嫌なんだよね~。」
的な空気感で伝えられれば十分です。言葉を飲み込んできた系にとってはそれだけでもハードルが高いかもしれませんが。

私も、
『何でこんな簡単なことが上手くできないんだろう?』
と思いながらも自分が
『嫌だな。』
と少しでも思えば
「嫌なんですよね~。」
と言えるように訓練を繰り返しています。

あくまで交渉なので、喧嘩腰な言い方ではないのですが、具体的に、明確
「□□が不快です。△△に変えてもらえませんか。」
などと、伝えることを学ぶ必要があるようです。

言葉を飲み込んできた系にとっては、本当に嫌な課題だとは思いますが、自分が嫌な何かに対して素直に
「嫌だ。」
と、自分の意見を自分が大事にできなければいけません。

察してちゃんなんてもっての他で、自分が嫌だと感じていることに関しては、自分がしっかり
「嫌だ。」
と表現しなければいけないのです。『嫌だ。』という感情のツケを他人に払わせるような態度を改め、しっかり自立することを学ばなければいけないフェーズの人は、この時期絶対多いと思うので、気になってる人は意識してみてください。

しつこいですが繰り返します。
「嫌だー!」
と、わがままをわめき散らかす必要なんて全くなくて、あくまで交渉する感覚で、
「それ、止めていただけます?」
と、クールに伝えれば良いんです。

「主張すべき!」
なのではなくて
「提示すべき。」
なのです。

私たちはそろそろ
『誰かが我慢しなければ幸せなコミュニティは創れない。』
『争わなければ求める結果は得られない。』
これらの意識を捨てなければいけません。そのためにも、多くの人が
[自分の望みを主張ではなく提示すること]
を会得する必要があるのです。

今までのような
『私さえ、言葉を飲み込んでおけばこの場を収められるよね。』
は通用しなくなってしまうのです。誰かの我慢の上に成り立つ世界が成立できなくなるのです。

また、
『強く反論しなければ自分の主張は通らない!』
などのファイティングポーズも取る必要もありません。素直に意見を提示することを身に付けていくことこそが最もスムーズに自分の求める結果を得ることに繋がっていくからです。

[自分の意見、意思を大切にできない人が、誰かの意見、意思を大切になんてできない]

ということを肝に銘じておくと良いでしょう。



●私のぼやき●

私が繊細でなければ、こんなこといちいち気にならなくて済むんだと思うんですよ。

マナーとか言葉とかの知識を学んでなければ、いちいち気にならなくて済むんだと思うんですよ。

本っ当に毎度毎度、気になる自分に嫌気が差します。

反対に【失礼な発言】をそれが失礼だと認識しない人はとことん認識しないし…

何が社会的に正解なのかは分かりませんが、少なくとも私と似たような感じで、繊細故にモヤモヤを繰り返してる人の励みになる話を書いておこうと思ったんですよね。

最近、何か集中力が無くて、上手く伝えられてる自信が持てないんですけど、私は別に
「マナーはキッチリ守るべき!」
とか、思ってる訳ではないんです。

ただ、マナーとかモラルとか、フワァッとしてるせいで沢山の人が混乱するようなものの解像度を高めていくことは必要なことだと思うので、色々書いてみました。自分にとって必要そうな部分だけ受け取ってみてください。

とりあえず、図々しい人に悩まされてる誰かがちょっとでも楽になる手助けになったら良いなって思ってます。


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