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逆上がりの話



{2022.08.12の記事}

ライオンズゲートのエネルギーが落ち着きましたね。

私は、エネルギーの影響を受けてか、情緒が振り回されました。

近年、月とか星のエネルギーの影響を受けやすくて、たまに困ります。

もうちょっと色んなバランスを簡単に取れるようになりたい今日この頃です。


私の中の厄落としを兼ねて、子供の頃の苦い思い出を書きます。


しょーもない話なのですが、私が小学生の頃の通知表は

小学校1~3年は
・良い
・もう少し

の2段階評価

小学校4~6年は
・大変良い
・良い
・もう少し

の3段階評価

でした。

小学校6年間を通して[もう少し]の評価を付けられたのが、忘れもしない…

小学校4年生の2学期、体育カテゴリーの中の【鉄棒ができる】の項目だけでした。

この、6年間通して"唯一"受けた[もう少し]の評価が悔しくて悔しくて、未だに引きずっています。


4年生のときの担任の先生は、ベテランのおばちゃん先生でした。

結構厳しめというか、ある意味融通が利かないというか、とにかく
「2学期の通知表は、鉄棒のテストで逆上がりができなかったら、[もう少し]を付けます!」
と、宣言していました。

体育だけでなく、全ての教科で
「この教科はこれができなかったら[もう少し]を付けます。」
「この教科でこれができなかったら[もう少し]を付けます。」
と、評価基準を明確にしている先生でした。


他の学年の頃の担任の先生はそんな宣言が一切無く、通知表を貰うまで自分の評価は全く分からないのが当たり前でした。

なので、先生によって評価基準は様々あったでしょうが、全体的なバランスを見て評価してくれていた先生ばかりだったと思います。

例えば、
そろばんだけがちょっと苦手だったとしても、計算問題や文章題などをちゃんと解けているなら[良い]を付けてくれる
という風に、おまけを付けてくれたこともあったのではないかと思います。


しかし、4年生のときの担任の先生は違いました。

「全員平等に、○○の教科では□□ができなかったらもう少しを付けますからね!」
という圧がハンパありませんでした。

私個人的に、それまで[もう少し]の評価を付けられたことが無かったので、毎回毎回
『うわ…これで初めて[もう少し]を付けられたらどうしよう…。』と、物凄くプレッシャーに感じていたんです。

あの頃は、本当に、ドキドキした…。


で、4年生の頃、結構太かったんです、私。

その頃はぽっちゃりよりもデブ寄りというか、体はでかく、体育は苦手な自覚がありました。

それでも、身長も学年で1~2位を争うほど大きかったので、跳び箱などは有利だったんですよね。

そういうのもあって、体育の評価も[もう少し]は付いたことがありませんでした。


そんな私にピンチが訪れたのは4年生の2学期末…。

「逆上がりのテストで、逆上がりができなかったら、もう少しを付けますからね!」

という、悪魔の宣言が降りかかりました…。


私、どう頑張っても逆上がりだけはできなかったんです。

逆上がり以外の鉄棒の技はどれもできたんですけど、逆上がりだけができなかったんです。

珍しく、休みの日とか、放課後とか、ちょいちょい逆上がりの練習しましたよ。

『絶対もう少しを付けられたくない!』と、[たかだか逆上がりができないだけ]で[もう少し]を付けられるのが泣きそうになる位嫌だったんです。


テスト当日、勿論

逆上がりはできませんでした。

『こんなこと位で、泣いちゃ駄目だ。他の子にとっては[もう少し]の評価なんて別に気にするようなことじゃないんだから………。』

本当に泣きそうになりながらも、物凄~く葛藤したのを覚えています。

私の執念深さよ。


後に、5年生になっても、6年生になっても、全ての教科で[もう少し]は付けられたことがありませんでした。

だから、余計に4年生の頃の担任の先生が恨めしいというか、(逆恨みなんだけど)
『おまけしてくれたって良かったのに、て、いうか、わざわざ逆上がりをテスト基準にするなんて、酷い!』とモヤモヤが残りました。

執念。


体育のジャンルの【鉄棒ができる】という項目だったので、たまたまその担任の先生が選んだ基準が【逆上がり】だったというだけだったんですよ。

それがね、どうしてもモヤモヤしたんです、小学生の頃の私は。

別のクラスは【逆上がり】だけができなくても他ができてれば[もう少し]にはなりませんでしたからね。

悔しかったんです。


しかも、小学校6年生になって、体が少し痩せたんですよ。

普通体型位に。

毎年最下位争いだったマラソン大会も、6年のときは真ん中の順位になれる程、動けるようにもなったんです。


そしたらね、普通に逆上がりができるようになったんですよ。

練習せずに、不意に
『ちょっとやってみよっ!』と軽い気持ちで鉄棒に向かったら呆気なくできたんです、逆上がり…。

拍子抜けでしたね。

それが余計にまた、4年生の頃の悔しさを引き起こして未だに忘れられなくなったんですけどね。

悔しい~~~!!!


逆上がりなんてね、[自分の腕で自分の体を持ち上げられるかどうかが殆ど]なんだって思いました。

逆上がりのコツとか技術云々よりも、圧倒的に、[腕の筋肉で自分を持ち上げられる(支えられる)かどうか]だって。

練習してなかったのにいきなりできたことで、
『あー、私は単純に太ってたから(体が重かったから)逆上がりができなかったのか。』って、打ちのめされたんです。

でも、小学生なんて、[家で出されたご飯を食べるだけ]とか[親がバクバクお菓子を食べてジュースを飲んでる]そんな環境下で、私が太ってたのって、私だけの責任じゃなくない?!

私だけの責任じゃないことで、私の評価下げられるって、納得出来ないんだけど!!!

と、小学校6年生の頃の私は何とも言い難い理不尽さ(当時は理不尽って言葉を知らなかったので表現できませんでしたが)を味わったんです。

この感覚だけは、本当に一生忘れない気がします。


で、この理不尽さを痛感してしまったら
『なーんだ、所詮、私が頑張っても頑張らなくても、何の意味も無いんじゃん。』って、そこから何か変にスレていったんですよね。

頑張るのが嫌いになったというか、頑張ることに意味を見出だせなくなった経験でしたね。

ある意味、私のことをちょっと大人にしてくれた経験でした。

今でも悔しいですけどね!
(まだ言う。)


この話が、現役小学生に届くとは思いませんが、
『逆上がりができない。』って悔しい思いをしている子がいたら、励ましてあげたいな、って思います。

体型が太い子が逆上がりに苦戦しているなら、
『小学生に向けた健康的なダイエットをしてみた方が、何度も鉄棒を握るよりも速いかもしれないよ。』と。

体型は太くない子が逆上がりに苦戦しているなら、
『腕立て伏せをするなどして、腕の筋肉を付けてみるのはどうかな。』と。
(↑この場合なら、何度も何度も繰り返し鉄棒で練習することで筋肉が育つ可能性もあるから、沢山鉄棒で練習するのも効果があるかもしれないですけどね。)

いずれにしても、小学生が逆上がりができないのは、その子だけのせいじゃないと、私は思います!

[体重管理、身体づくりに気をつけてあげられない]とか、[どうやったら逆上がりができるようになるのか、という部分を正しく指導できていない]周りの大人にも多少の責任はあると私は思います。

大人になった今の私は、そう思います。

だから、
『[体育のテストで逆上がりができなかった]ということで自分を責めたり、悔しい思いを抱えたままにしなくて良いんだよ。』と、昔の私にも言ってあげたいです。


今の私が小学校4年生の頃の担任の先生のやり方を思い返しても、
『ちょっと違うんじゃないかな?』と思うんですよね。
(子供の頃からその先生のことが嫌いでしたが、今考えてもやっぱり根本的に意見が合わない人だったんだろうな、と思います。)


先生の意図としては、[全員に平等に評価を付ける]という目的があったことは、昔も今も理解しています。

平等に評価を付ける為に、
「この教科ではこれを基準にします。」
と宣言していたことも分かっているのですが、私個人的には、
「○○ができなかったら評価を下げますからね!」
という言葉が脅しのように感じたし、そのプレッシャーのせいで、変に緊張したあの感覚も軽いトラウマです。

しかも、別のクラスは、鉄棒の項目が逆上がりだけを基準にした評価じゃなかったので、その時点で平等じゃないと感じていました。

一言で言えば、やっぱり理不尽です。


まぁ、先生という立場であれば、[評価基準を明確にすること]を実践する方がメリットが沢山あったのだろうな、というのも分かるんですけどね…。

今の小学校がどういう通知表だとか、地域によっても色々評価項目や基準は違うと思うんですけど、私はやっぱり個人それぞれに合わせた評価の方が全員にとって大事なことだと思うんですよ。

勉強が得意な子には、
『少し厳しめになるかもしれないけど、あなたなら頑張れると思うから!』といった声掛けや、勉強が苦手な子には、
『この学期は、九九だけでも頑張ろうか!九九を覚えたら1番良い評価をするからね!』といった声掛けなど、それぞれの生徒のレベルや性格に合わせた評価の付け方をするのが1番、[伸びる子が増えるやり方]だと私は思うんです。

何十人、何百人も受け持っている先生が
『そんな個々に合わせた対応なんてできない、無理だ。』って感じるなら、通知表なんて無くしたら良いんじゃないですかね。

テストの成績が分かれば通知表なんて無くても、自分の得意不得意はチェック出来る訳ですし…。

先生側の仕事を増やして、児童、生徒側の自尊心とやる気を奪うだけの通知表なら、無い方が世の中のためなんじゃないの?

と、いう私の意見です。


今の時代、少子化ではあるかもしれませんが、都会は沢山生徒がいて、田舎は過疎が進んで…

という状況はまだ続いていると思います。

そんな中、オンラインという文化も利用できるので、上手くやれば、個別指導とまではいかずとも、1人の先生が受け持つ児童、生徒の数をまんべんなく均すことは、そんなに難しくない時代になってきているのではないでしょうか。

私は、ちゃんと[児童、生徒それぞれの個性に合わせた教育ができる社会]になると良いな、と思っています。

それから、私たち大人も、ちゃんと[大人になれる社会]になることを切に願っています。

私を含め、大人も[人として育つ社会]
になりますように。


追記

忍たま乱太郎のエンディングだったかな?で、
♪逆上がりができなくちゃ結構カッコ悪い♪
という歌詞の歌がありましたが、女ながらに刺さった記憶があります。

小学生にとっての[逆上がり]って、本当に重いですね。


世の中の逆上がり苦手な小学生たちよ。

負けるなよ。

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