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民度が下がると物価が上がる



{2023.11.17の記事}

最近移動させている自分の記事が、
【目に見えない世界】
のことを精一杯現実世界の概念に落とし込もうとしているものばかりで、個人的には
『え…過去の自分、何でこんなこと書けたん?』とか、
『めっちゃ良いこと書いてる!』って風に思う反面、
『1話1話がディープ過ぎてしんどい!!!』ともなってます。

早く移動を完了させたい
vs
しばらく過去の自分の記事読みたくない

でせめぎ合ってます。

 

だから現実世界の話を書きます。


【単価の安いお店】
って沢山ありますよね。

100円均一もそうだし、
100円寿司店もそうだし、
1食500円に満たない価格帯の飲食店も沢山あります。

商品の単価を下げられるお店のシステムの1つに、[人件費が少なくて済む]というカテゴリーは必ず挙がってきます。

・レジで、スタッフの誰かがお会計をしてくれるお店
・券売機でお客が勝手にお会計をできるお店

スタッフの人数を減らしやすいのは圧倒的に後者のお店であり、

スタッフの人数を減らせるということはその会社の人件費を削減できるということであり、

人件費を稼ぐ必要が少ないということは商品価格を下げられる。

ということになりやすいですよね。


ただ、私もスタッフ側として経験があるのですが、

[単価の安いお店の客層は民度が下がりやすい]

という部分は否定できないと思うんですよ。

あまり表立ってはそんなこと言えないでしょうけれど、

やはりプロフェッショナルな質の高いサービスを提供できる、格式の高いお店や、単価の高いお店なら、

[ある程度のマナーや教養が備わっているお客じゃないと、敷居が高い、ご縁がない]

という部分は想像がつきやすいと思います。


一方、単価の安いお店にはどんな人でも入りやすいです。

どんな人でも入れてしまうということは素行の悪い人も入れてしまうということになります。

逆の言い方をすると、

素行の良い人であれば、格式高いお店だろうと、単価の安いお店だろうと、自分が行きたい方を自由に選べるのですが、

素行の悪い人は、格式高いお店を選択できないので、自ずと選択肢が限られてきてしまう訳です。

そうなると、選択肢が狭いグループの人々が出入りできるお店は、必然的に偏ってしまいますよね。


必ずしも
単価の安いお店=民度が低い
とは限らないのですが、
民度の低い人は単価の安いお店に集約されがち
という部分は、暗黙の了解として存在している事実なのではないでしょうか。


単価の安いお店が、商品価格を下げられるのは企業努力である場合も多いです。

また、無人販売店などは、お客への"信頼"の上に成り立っている場合も多いです。

これらの努力信頼を踏みにじるような民度の低い行為が増えてしまうと、

設備投資や人件費というコストが新たに必要となってしまうので、

当然値上げが必要になってしまうのです。


至極当然の話なのですが、民度、貧乏、素行…

ナイーブな上にフワッとした概念が多く絡んでくるため、あまり表面化しない話題です。


私のブログに限らず、他人のブログや本などを普段から読み、自分の頭をしっかり使って生活している人であれば、

企業(お店)のサービスに胡座をかいて民度の低い行為を行えば、巡り巡って値上げやサービスの停止…といった、

『素行の悪いことをすれば、最終的に自分の首を締める結果を招いてしまう。』

ということは簡単に理解できるはずです。

ところが、活字、長文を読まない、自分の頭で先々まで考えるということをしない…こういう人は、

自分の愚行が自分の首を締める結果を招くということが理解できません。

どうしたら良いのでしょうか?


【自分の愚行が自分の首を締める結果を招く】

風が吹けば桶屋が儲かるような話で、本当に1つ1つの流れを丁寧に丁寧に説いてあげないと伝わりにくい側面がありますよね。

かといって、その説明をしっかり聞ける集中力、理解できる理解力があるのかも、判りません。

そもそも、誰が、いつ、どこで、こういったことを教えてあげられるのでしょうか?

皆様はどう思いますか?


私個人の意見ですが、現代ではPC、スマホ、タブレット…と身近に必ずコンピュータが存在している人がほとんどだと思います。

そんな世の中で、これまでの時代と同じカリキュラムの勉強は必要ない部分が沢山あるのではないでしょうか。

例えば算数や数学にしても、[求めたい数字を導き出す為の概念]は学ぶに越したことはないですが、ただただ黙々と似たような計算問題をドリルで解き続けるような勉強ならば、ハッキリ言って無駄ではないでしょうか。

計算はコンピュータの方が早いし正確です。


他にも『分からない、何だっけ?』となればすぐに色々なことを調べられる現代において、本当に必要な勉強というものを取捨選択していくことはとても大事だと思います。


私は、計算ドリルを必死に解くことよりも、世の中の仕組みについて1つでも多くの概念を会得することの方がよっぽど大切なのではないかと思うのです。

学業をこなす勉強ではなく、思考を広げて巡らせられる教育がもっと広まる必要があるように感じています。


今、例え話で算数を引き合いに出しましたが、思考を広げ、巡らせ、頭を使えるようにならなければいけないのは

〖大人の方が圧倒的に多い〗

ということを1人でも多くの人が自覚した方が良いと、私は考えています。


学校で学んできたような学業ではなく、素行マナー良識を身に付けられる人の割合がどんどん増えることによって、結果的に自分達が住みやすい世の中が出来上がっていくからです。


少し複雑かもしれませんが、
『じゃあマナーの資格を頑張って勉強しよう!』という話とも少し違います。

答えが決まっているものを頭に叩き込む勉強ではなく、

臨機応変に応対できる頭の使い方ができる人が増える必要があるのです。

確かに、臨機応変な対応ができるためには、幅広い知識があると有利ではあります。

しかし、より大切なことは、自分の中に詰まっている知識を引き出し、応用・活用できることなのです。

それは、テキストの丸暗記をそっくりそのまま暗唱することとは訳が違うのです。


多くの人々の民度を下げないために、

【思考停止を止める取り組み】

が広まることが良いのではないかと私は考えています。

生きやすい、住みやすい世の中を創るためには、個人個人のちょっとした意識改革が大きな役割を果たします。

この話が響く人が増えますように。


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