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過干渉は自分へ


最近の話の色んな要素を織り交ぜて、

「若い芽を摘まない人を増やしませんか!?」

という話を今日は書きます。



昨日の話の内容と連動して、
『若者が大人になって、お金を稼ぐようになったときにお金を使ってくれるように…』
という意図の元、若者の動向を熱心に探る文化っていうのが根付いているんです。

だから良い歳の大人であっても、若者の流行を真似したり、それらに乗っかる傾向があったりします。



私がかつてJKだった頃、若づくりオネーサンが若者服を着ることに対して微妙な気分になっていたことが思い出されます。

服だけでなく、流行り言葉などもそうで、
『何か無理して合わせにきてるよね?』
みたいな部分が透けて見えることに違和感を覚えていました。

似合ってる人とか、ナチュラルに流行語を使いこなす人に対しては何も思わなかったのですが、必死になって流行に便乗しようとする感じの人に対して、どうも
モヤモヤしていたものです。

こういう経験から、20代半ばを超えてくると
『"若者の"トレンドを追っかけ回し過ぎるのはいかんな。』
と、何となく気になってしまい、
『大人…とは?』
という部分が妙に引っ掛かり続けてきました。



前々から、全然別の内容でも、
「私は、自分より若い人の目線に立って、彼(彼女)らが進もうとする先の邪魔になるものを取り壊せる大人になることが大事だと考えています。」
という趣旨のことを書いてきたのですが、自分より若い人と向き合う方向性で物事を見つめるのは良くないと考えているんです。

私は昔から
「既に出来てる道を歩きなさいー!!!はみ出してはいけませんー!!!」
と、くどくど言われることの方が多かったタイプの人間で、
『そんな風に、型にはめようとする大人になったらダメだなぁ。』
って、かなり強く思いながら生きてきました。

色々と学びを深め続けて、今も尚
『うん。自分より若い人間に干渉しちゃいけないな。』
ってより一層強く思うようになっています。

子供だからとか、大人だからとか、関係なしに、全ての人が
自分が進むべき方向だけをしっかり見据えて進むことに注力しなきゃいけないんだな!』
という意識が強まっています。



ちょっと厳しい言い方ですが、実際、自分を振り返ることよりも他人を見て指摘する方が簡単なんです。だから、あーでもない、こーでもない、って自分より若い世代に方便を垂れてる気になっておきながら、自分の片付けるべき心の問題に目を向けられていない大人の方が多いんです。

でも、それじゃダメなんですよね。

大人は大人自身が進むべき方向をしっかり見定めて、自分の未来を切り開くことの方がよっぽど大事だと思いませんか?



前にも私は、
「過干渉は優しい虐待だと思います。」
という話を書きましたが、私はそういう表面化しにくい虐待で苦しむ人が1人でもいなくなる世の中になることを望んでいます。

他人が首を突っ込みづらい【家庭の問題】に切り込む術を見出すよりも、

[万人が他者への過干渉を止める活動を活性化させる]

ことが、不幸の連鎖の食い止めにとても近いと私は思うのです。

だから、より沢山の人が自分自身の人生に集中したくなるような空気感を巻き起こしていくことが大事だと考えています。



先日の記事でも私は
「情報なんて、自分に本当に必要ならば必ず出会うのだから、神経質に気にし過ぎなくて良いんですよ。」
という内容を書いたのですが、この通りに、

「自分より若い世代の動向も、気にし過ぎなくて良い、何なら、ほっとけば良いんです!」

と伝えたいです。そしてもっと、この思想がメジャーになって欲しいなって思います。

他者なんかよりも"自分自身の"身の振り方に集中できる人間が増えることを望んでいるのです。



本当は、私が自分自身の人生を思いっきり楽しんでる姿をもっと輝かしく発信して、
『あぁ、大人こそ遊びに全力になるべきなんだな!』
とか、ポジティブな感じで示せるのが一番良いと思うんです。

それなのに………それが上手くできてません;∀;

前にも例えた表現ですが、仕事を教えるときにしても、
「こうして、こんな風にしてね。」
と、説明するよりも、自分の姿勢、背中で見せた方が真似してくれる場合の方が多いんです。

だから、同じように、私自身が全力で楽しいことを表現できた方が良いと思っているのに………

何で私のブログは【私の楽しい】を表現した記事よりも【ガッツリ説明】した記事の方が高評価が多いんだよorz



いや、高評価が全てじゃないと思うんだ。私のブログはそういう形で影響が反映する類いじゃないと思ってる。だから、そういう話じゃないことは重々承知なんだけど、何しか正解が分からなくて困る!

話はちょっと脇道に逸れますが、私は最近ブログを止めたいけど、過去に書いた記事を消すのはもったいなさ過ぎる気がして、止めるに止められないんですよね。もっかい0から書けって言われても絶対過去以上のものを書けない自信があるんです。

かと言って自分の手元だけにデータを残しておくことには何の意味も無いし、どうするべきか結構真剣に悩んでるんですよ。

前からずっと言ってますけど、私はフォロワー数高評価数を稼ぎたい訳でもなくて、何なら100人から評価されることより、たった1人でも悩み、苦しみの中から抜け出せるヒントを与えられることの方が大事だって考えてるタイプなんですよね。

けど、こういうスタンスでの表現方法が、どういうスタイルだと効果的なのかが分からなくて、伝え方に迷いが出てしまいます。



話をグイッと戻すのですが、引きで考えたときに、こうして

「悩みながら取り組んでます!」

っていう部分を素直に伝えることも、
【大人が何かに一生懸命になってる姿】
を示すことにも繋がるのかな、という気もするので、もっと私の悩みというか心の葛藤みたいな部分を出していっても良いのかな、っていう気がしてきたんです。

今までは、
『私の悩みの吐露は、ネガティブ過ぎて、他人に対して出すべきじゃない。』
の、ような印象を持っていました。

あと、
『不特定多数に向けて発信する内容はできるだけポジティブで面白いものの方が良い!』
って、何となくHappyに直結する内容が望ましい気もしてました。

だから控えてたんですけど、もっと正直に書けた方が良いのかもしれません。




[他者への過干渉を止める人を増やす!]
そのために
[自分に集中できる人を増やす!]

そんなお手伝いに繋がる言葉を紡げる機会が増やせたら良いなって思いました。

方法とか、正解なんて全く知りませんが、何となくで取り組んでる私の姿を見て
『別に賢いやり方じゃなくても、思うままに動いてみれば良いんだな!』
って思ってくれる人も増やせると良いなって思いました。

この話に、ピンときた人も、一緒に"自分の"人生に集中してみませんか?

『どうすれば"自分は"楽しいだろう?』
って真剣に向き合ってみませんか?

"自分"だけに、過干渉になってみませんか?



他人への過干渉がマイナーな世の中になりますように。

賛同してくれた人は、今日から是非自分への干渉時間を増やしてみてください!


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