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駅舎から流れるアナウンス

海外の音が聴けて嬉しい、と言われることがよくあり、ふと立ち止まる。

先日Stand FMラジオで収録した、メルボルン駅舎のアナウンス。

以前は車のクラクション、電車から流れるアナウンス、入り混じった雑踏の会話。すべてが新鮮で魅力的に感じられた。

良くも悪くも、そんな環境音は自分を外国人に思わせる。

今はどうだろうか。
このオーストラリア・メルボルンに住み始めて9か月になるが、こういった「海外の音」に対してあまり魅力的に聞こえなくなった。

それは良く言えば「慣れ」であり、悪く言えば「かぶれ」だろう。
だからか、そこまで来た当初よりも自分が外国人である意識はなくここの生活に順応し暮らせている、と感じている。

この街についてまだ知らないことなんて山ほどある。


僕がこの街に住む期間を1年間と決めたのは、「慣れたくない」から。
慣れてしまうことで、見えたはずの景色が見えなくなる、のは大好きな街だからこそ避けたい。

そしてまた戻ってきたいと思えるように、「慣れない」。


海外の音が聴けて嬉しい、と言われることがよくあり、ふと立ち止まる。

そうだこの音に僕はドキドキしていた。その感覚を忘れていた。

僕は無意識に、この街に「慣れている」と思い込んでいるのかもしれない。

まだまだこの街の魅力を見つけることができるはず。状況が何であれ、この街に来た時の感情を忘れず、過ごしていく。


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Stand FMというラジオで、メルボルンの駅舎のアナウンスを収録しています。ぜひこちらもお聞きください。




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