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うた そら(宇宙)のまにまに 19

もって生まれたモノのこと

他者と対面していて
ある時、ふと
ああ、この人の「もって生まれたモノ」
だなあ、と気づく

そうなると
わたくしには
もう何も 言えないのだ

ソレは
当人でさえ抗えない 約束事のようなモノ だから

どうしようもなく 人の仔は
「もって生まれたモノ」に従って 
生きている

なぜだか そう 了知したのだ

ソレは
誰かから 押し付けられたモノ でなく
当人自身が わざわざ調達したモノ でもない

みんな この世にやってくる時 
何も持たずに 来たはずだが

どうやら ソレだけは 
その手に ぎゅっと握りしめて いたらしい
だから 
ソレは とても大事で 大切な その人だけの花

うっかりと 忘れ果ててしまっている
同胞たちが
そのコトを そっくりと 思い出せば 
互いを 無用に 痛めることが なくなるのではないかと

わたくしは 虚空に 問いかけてみるのだけれど

其処には ただ 
淋しいような 懐かしいような 
風が 吹いているのだった

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集団生活の中で、
互いを尊重することと、
秩序を守る「正義」という名の強制が 
バランスを崩し、
息苦しさを発生させている。

以前も、今も、これからも、
人間が集団形成によって生存する限り 
この息苦しさから
まったくに、解放されることはないだろう。

個性などという単語では
簡単には言い換えられない、
「もって生まれたモノ」が各々に在る。

その事由は今、ほとんど無視されているような気がする。
この視点を思い出すことこそが、
わたくしたちが暮らす社会に
寛容というゆるやかで優しい空隙のある、
豊かな関係性をもたらす
と、
わたくしは、思うのだ。

 たおやかに立つ釣鐘草 花言葉の正義とは縁遠く

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。



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