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うた そら(宇宙)のまにまに⑭

ライフ イズ ブック

ふと わかってしまったこと
人は それぞれの物語の主人公であり
その物語が 綴られた「本」が
命の記録=人生だ
これは「喩え」ではなく 「事実」

だから
他人様の本に 文句をつけて
登場人物を いじくり
自分好みのお話に 書き換えようなんて
土台 無理なこと

自分と他者との関わりは
お互いの本の 或るページで
それぞれの主人公と絡むシーンがある 
それだけのこと

他者の本の中で語られる存在は
たとえ当の本人であろうとも 
書き換え不能

思いも事実も 問答無用
書き手次第の脇役にすぎず

たとえ「違う」と叫んでも
「他者の本の中の自分」は 本の主の思いのまま
此方の望む訂正や修整など
あっさりと門前払い

こんな厄介なルールのもと
それぞれの本は 日々ページを増やし
ストーリーが展開する

唯一自らの本の中の主人公(自分)だけが 
思い通りになる「かも」しれず
登場人物たちのキャラのイメージは
勝手につくってもいいようだ
そこが 鍵

ただし 人間はその大事なポイントを 
そっくり忘れ果てていたりする
他人の本の出来栄えに 気を取られ
他人の本の中の 作られた自分を 
どうにかしようと 焦る
少し考えてみれば
拍子抜けなほど どうでもいいことなのに

みんな 自分の本に 戻る時が来ている
それぞれのお話は
「自由」になった主人公のご帰還を
それは楽しみに 待っているのだから
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若い頃いっとき、人間関係の「誤解」を解こうと躍起になった。
「話せば分かる」を鵜吞みにしていた
説明し、話し合えば屹度分かり合えると信じていた。
今考えると、宗教に近いと思うほどに。
が、頑張るほどに相手の心は離れ、焦りは募った。
言葉が足りないのか、心が足りないのかと
ますます丁寧に根気つよく、わかりやすくに
全力で向かっていった。
が、
結局、関係はどんどん悪化していった。
もう何も手だてが思いつかなくなって初めて やっと気づいた。
「話せばわかる」のは、「違い」だ、と。
違うのはわかった。
そこをどうするか。
これこそが両者へのテスト
なのだ。
勘違いしていたわたくしは、
これでもかと自分が相手と違うことを
しつこくアピールしていたのだった、トンチンカンに。

「みんなちがって みんないい」なんて、
現実がそうじゃないから、もてはやされる。
あなたとは、こんなに違うなんて、
デリカシーに欠けている。
弾き飛ばされるのは、当然。
当時、どこで仕入れたかもわからない、
「話せばわかる教」にドップリと浸かっていた

そして、相手の本(心)に在る自分が、
自己認識の自分と全く違う姿だと、驚いた。
さらに厄介なことに、
相手の心に作られた「自分のような者」の書き換えは
基本こちらの手が届かない

「誤解」はこちら側からの主張であって、
相手にとっては「正確な認識」でしかない。
そのシビアな事実を理解し、受け入れてこそ、
やっと生きづらさは軽減される。

人はそれぞれの本を書いている。
登場人物が重なる物語は、それぞれ近しいようで
同じではない。
わたくしと、あの人。
わたくしのページの中で、すごく素敵に輝いているあの人。
なのに、あの人の本では、暗く沈む主人公になっているかもしれない。
風景や日時などの場面は同じようでも
それぞれの本の中のストーリーは異なる意味合いをもつだろう。
そしてもちろん、お互いの本の内容に決して注文はできない。

ゲシュタルトの祈りを知人が教えてくれた時、
そうなのだと素直に了解することができた。

https://motivation-up.com/word/043.html

わたくしの本にあの人が登場しなくなって、随分経つ。
暫く思い出すことさえなかった、あの人。
わたくしの人生という本に、再び登場するシーンはあるだろうか。
そして、わたくしのようなわたくしではないキャラクターも、
今もだれかの本に、何かの役目で現れているのだろうか。
それを不思議だなと感じるのだ。

わたくしの本、人気も内容もなくていい。
ただ、自分には嘘のない素直なものにしたいと願う。
この世から出ていくときの唯一の手土産なのだろうから。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。

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