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荒地の魔女 #3(終)

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 さて。ここまで話を聞いててどう思った? 人間臭い? ガノンが? そりゃそうさ。アンタ、【強大なるガノンガノン・ザ・ギガンテス】がまさか超人だとでも思っていたのかい? 冗談じゃない。彼も、他の英雄たちも、みんな人間だったさ。
 アタシを殺そうとした奴も。アタシと決裂した奴も。アタシと向き合ってくれた奴も。みんな人間だった。どこも、他の人間と変わらなかった。アタシのような、人でなしじゃなかったよ。
 おっと。さっきのような発言はよしとくれよ。アタシはやっちまったんだ。だから魔女なんだ。アタシは魔女で、アンタたちは人間。そこの線引きだけは、守らなくちゃいけない。未来永劫、絶対にだ。アタシはこの先何百年生きるかわからないけど、そこだけは曲げちゃあならないんだ。アタシの、罪だからね。アタシは生きてる限り、自分の罪と向き合い続けるのさ。悲しい? ああ、悲しく見えるだろうね。ガノンも、そう言ったよ。最初だったか、他の時だったか……もう思い出せない。だけど、言われたって事実だけは思い出せる。
 ああ、懐かしいねえ。最後に会った時も、ガノンはどこかにそんな想いを隠していたよ。わかっちまうってことが、こんなに辛いモンだった。それを初めて、知らしめられたね。そうだね。興が乗ったし、そっちの話もしていこうか。まさかまさかの、再会だったよ。

***

「……幾度目だったか」
「三から先は数えちゃいないが……五度目か六度目じゃないかね。ようこそ、【強大なるガノンガノン・ザ・ギガンテス】。一廉の王になったと聞いて、一度は祝福したかったよ」
「その名で呼ぶな。王になりたくてなった訳ではない」

 幾年ぶりかの再会はしかし、ガノンにとっては果たしたくない再会であった。その威光を黒河にまで轟かせ、軍勢が白江にたどり着くのも程なくとされる、ヴァレティモア大陸東部域の覇者ガノン。だが、彼は。

「倦厭しておろうがなんだろうが、あの日出会った一傭兵が、覇王にまで成り上がったんだ。祝福しなけりゃ、礼儀にもとるさね」
「……受け取っておくとしよう」

 ガノンは、灰色みを増した髭をしごく。かつては黄金色にけぶっていた瞳も色褪せ、その中には憂いや虚無を湛えてしまっている。王としての責務に倦み、一人街へと抜け出した所でこの状況。王都の石畳を歩んでいたはずが、今や黒かがった土をした、紫空の下にいる。されど。ガノンはどこか楽しげに【異界】の土を踏み締めた。

「相変わらず、ここに一人か」
「つがいなど、取れる訳もなかろうて」
「つがいの他にも、手はあるだろう」
「他人を取り込んで暮らせと? アンタも老いたねえ」
「……かもしれんな」

 ガノンは、【異界】の大地を見つめる。あの日、初めて踏み入ってしまった時と、なに一つ変わっていなかった。だというのに、己の心はちっとも湧き上がらない。喜びがない。寂しき大地に見えてしまう。原因は、やはり。

「王ともなると、視座が変わっちまうもんかねえ。アタシは悲しいよ」
「変わるな。ああ、変わってしまう」

 ガノンは、魔女をまっすぐに見つめた。彼女は未だ、黒布を被ったままである。その下の姿はわからぬが、きっとあの日のままなのだろう。ガノンは息を吐き、言葉を続けた。

「王ともなると、『先』を見なければならぬ。傭兵の折は、『今』だけを見ていればそれで良かった。だからおれは、変わってしまった」
「だから、アタシにも」
「ああ、言う。過去を捨て、未来を切り開くほうが良いとな」
「お断りだね」

 魔女が、口をモゴモゴと動かす。それだけで、彼女の右手に杖が現れた。魔女はそれを、ガノンへと差し向ける。これまでで初めての、『敵意』であった。

「これ以上のたまうのなら、アンタといえども叩き出すよ」
「……」

 ガノンは、口を開かなかった。敵意が悲しかったのか。あるいは。ともかく、対峙はしばらく続いた。ややあって、魔女が呆れ気味に口を開いた。

「申し開きは?」
「ないな。おれは老いた。もうあの頃のようには、ここを見られない」
「愚直な正直さだけは、変わらないねえ」
「正直は美徳だ。おもねって嘘をついたところで、なにも変わらぬ」
「そこが変わらないだけでも、ありがたいよ」

 魔女が、杖を下げる。バンバ・ヤガは頭部を覆う黒布を取った。はたしてそこには、ほとんど変わらぬ美貌があった。彼女は、しわがれ声で言葉を続けた。

「ひとまず、叩き出すのだけは勘弁してやろう。最後の茶でも、飲んで行くがいい」

 魔女が杖をかざすと、目前に家が現れる。初めてこの異界に足を踏み入れた際と、まったく変わらぬ姿だった。魔女の管理が行き届いているのか、あるいは【異界】の効能か。

「どちらもあるね」

 ガノンの意志を読み取ったかのように、魔女が言葉を発した。掃除は、聖堂初歩の奉仕であると、彼女は続けた。ガノンは首を縦に振り、魔女に続けて席に着いた。あの日と変わらず、半ば勝手に茶を注ぐ。何度も足を踏み入れたが故の、手慣れた振る舞いだった。

「最後の茶だと言うに、ありがたみも無しかい」
「感謝はしている」
「表に出さぬか」
「……たしかにな。済まない。今まで、わずかとはいえ世話になった。感謝する」
「よろしい」

 軽口とも、本気とも言えないやり取り。しかし魔女は、『最後だ』とガノンに告げた。故にガノンは、常よりもゆっくりと茶を飲み干していく。そこに感慨があるのかは、本人にしかわからねども。

「さあ、そいつを飲んだら最後だ。もう二度と、会うことはないだろうよ」
「そうなると良いな。おれも、ここまで若かりし頃の心持ちに戻れぬとは思わなかった」
「なに。こんなコトは幾度もあったさ。悔いるでない。王たるを行け。ここが別れ目だったのだ」
「そう思うとしよう」

 ガノンは、一息に茶をあおった。やがてそれを、机上に置く。それを見てから、魔女が告げた。

「この家から出れば、アンタの居るべき景色が待ってるよ。おさらばだ」
「……さらば」

 ガノンが、容貌魁偉の身体を外へと踏み出させる。はたしてドアの先には、彼が居るべき王都の街並みが広がっていた。

***

 ……とまあ、これが最後のやり取りだったよ。それから十年、十五年は先だったかねえ。アタシは聖堂からの使者から、ガノンが亡くなったことを聞かされた。随分と寂しく、それでいて彼らしい最期だったと、アタシは聞かされたよ。それから知らん内に彼の王国が消え去り、大陸はまた群雄割拠の時代となった。そうしてどこからともなくアンタが現れ、話をするようになった。これが、今に至るいきさつさ。
 ……どうした? ん? なるほど。アンタもまた、いつかアタシと決別する時が来る。それが不安なのか。なに。不安に思うでないよ。人は、生きている限り前進する。アタシはこの異界で、止まった生を生きている。だからどうしたって、道が分かたれる時が来るのさ。ましてやアンタは、あのガノンの後釜として戦神に選ばれたんだ。止まっちゃいけない。アタシなんざ、気に掛けちゃいけない。広い世界を見て、広い世界を歩まなくちゃいけない。それが、アンタの使命なんだ。
 わかったかい? そうか。わかってくれたか。じゃあ、今日はここまでだ。この家を出れば、アンタは居るべき景色に戻っている。来たけりゃ来ると良いが、ほどほどにしとくれ。アタシだって女だ。色々と準備があるからね。ん? なに言ってるんだい。アタシは【魔女】だよ。女であることまでは、捨てちゃいないのさ。わかったらとっととお行き。しばらくは来るんじゃないよ。じゃあね。

荒地の魔女・完

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