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荒地の魔女 #1

 おお、おお。また来なすったか。お前さんは、どうして『ここ』に自由に足を踏み入れられるのかねえ。おっと。喋らなくてもいいさ。もう幾度となく会っているけど、こればかりはアタシが、自分の手でわかりたいからねえ。それで良いのさ。
 で? 今日の用件はなんだい? またあの【強大なるガノンガノン・ザ・ギガンテス】の話かい? 良いけどね、たまには他の話も聞いとくれよ。長く生きちまっただけあって、色々とネタには事欠かないのさ。『ここ』に来た人間に限るけどね。
 たとえば、この大陸におさまるどころか、隣の大地にまで手を伸ばしちまった【航海王】。たとえば、とある復讐の執念から、三人の英雄を闇の技にて葬り去った【英雄殺し】。たとえば、あのガノンより前、傭兵より身を起こして一国を成した【傭兵王・サガ】。
 ああ、どいつもこいつも、一端の男だったよ。【英雄殺し】とは、最後まで馬が合わなかったけどね。アレもガノンやアンタと同じで、何度か『ここ』に足を踏み入れたからね。おかしいねえ。『ここ』は闇のせいで他の時空とは切り離されちまってるのに。おっと。アタシは闇じゃないよ? 何度も言ってるだろう? たしかにアタシも、一度は闇に飲まれたさ。だけど、どうにかこうにか浄化できた。これでもかつては、【聖女】なんて呼ばれてた身の上だしね。おっと。過去の話が過ぎちまった。どうするね? それでもガノンの話が聞きたいのかい? そうかい。わかったよ。じゃあ、今日はガノンと初めて出くわした時の話をしようか。アレも大概、突然だったからねえ。心して聞きな。

***

 ガノンがその空間に入ってしまったのは、まったくもって偶然だった。おそらくは幾千万分の一もの確率を超越した、偶発的な事象だったのだろう。

「む……」

 ガノンがその黄金色にけぶる瞳を細めたのは、奇妙な景色の変化を感じ取ったからだった。雰囲気が、明らかに変じている。常には青いはずの空は紫がかっていたし、普段は茶色の大地も、夜のように黒ぼったくなっている。ガノンは鼻をひくつかせる。案の定、どこかすえた臭いがしていた。

「……【異界】にでも入り込んだか?」

 ガノンはつぶやく。口伝では聞き知っていたことではあるが、真に入り込むのは初めてのことであった。【異界】とは、現世からなんらかの方法によって地理的、時空的に隔絶された空間のことである。ほとんどの場合は、現世の座標軸さえ無視していることが多い。これは神々による厳罰や、人の世を疎んだ者、儚んだ者による術、流刑の最高罰として課される拒絶の紋様などによって構築され、大抵の場合は余人の立ち入りを許さない。仮に入り込むとすれば、万分の一よりも遥かに低い確率での偶然、もしくはいずれかの神の加護が、隔絶の術より勝った場合のみである。ならば、ガノンは。

「偶然ではあるだろうが……主人に面通しをせねばならなくなった」

 ガノンは常の格好――上半身を風に晒し、下は下履きと粗末な靴、手頃な剣ともう一本を背中に掛け、いささか異彩を放つ黒槍を手にしている――のままに、面倒を思った。
 【異界】から出るための方法はいくつか存在するが、一番早いのが【異界】の主人――すなわち、隔絶の対象である――に面を通し、客人として通行の許可を得ることである。あるいは主人を葬り、【異界】そのものを崩壊させるか。ただし相手の性質が不明である以上、どちらの手段も安直に振るって良いものではない。安易に行ったが故に【異界】に飲まれ、二度と現世に帰れなくなってしまった者がいる。そういう荒野の挿話は、後を絶たなかった。
 一例においては、海中、宮殿を模した【異界】におよそ三百年間取り込まれ、なんとか戻って来た頃には故郷もなにもかも、すべてが消え失せていた男の挿話がよく語られている。ともかく、【異界】は数が少ない割に、その危険性は広く語られていた。

「ククク……いらっしゃい。アンタの見立て通り、ここは【異界】だよぉ」

 しかしガノンの場合は、面倒は不要だった。彼の死角から、しわがれた声が掛かったからである。ガノンはその方角を見る。するとそこには、異様な風体の人物がいた。黒い布をいくつも被って髪や顔を隠し、胴体も手足も、黒い布に隠されている。年かさも性別も、見分けが付き難い。いや、声色からすれば女、それも、そこそこの高齢であろうか。異様な風体の人物は、ガノンにのそのそと近付く。彼は、黒色の槍をわずかに動かすが。

「フッフ。なにもアンタを取って食おうとは思っちゃいないから、安心すると良い」

 その動きに気付いたのか、黒い塊から再び声が上がった。声はしわがれたままに敵意がないことを告げると、さらに続けた。

「だがね。ちょいとだけ暇潰しに付き合って欲しい。語らって欲しいのさ。いいかい?」
「よかろう」

 ガノンは、いともあっさりと首を縦に振った。【異界】に飲まれた時点で、彼に選択権はない。現世へ帰るためにも、【異界】の主に従わねばならない。もっとも、この異様な風体の人物がそれであるとは限らない。同じく【異界】に取り込まれ、帰れなくなった者かもしれないし、もっと勘繰れば【異界】に住まう生物であることさえも否定できない。とはいえ、だからといってそれらを邪険にする意味はない。【異界】で無法を働いた者が、永遠に閉じ込められて帰れなくなる。そんな挿話も、ヴァレティモア大陸ではよく語られていた。

「クック。ああ、アンタがなにを考えているか。アタシには手に取るようにわかるよ。心配ない。アタシが正真正銘、この【異界】のあるじさ。闇によって現世と隔てられ、さらには多神教の連中に拒絶の紋様まで刻まれたアタシの、アタシのためだけの【異界】さね。さあ、まずは語り場へ行こうか」

 女――未だ推定ではあるが――はそう言うと、布の中から手をかざす。すると不可思議なことに、目前の空間にあばら家が現れた。木造りの簡素な住居に、かたわらの大釜――幼少の頃寝物語に聞かされた、旅人を取って食う魔女。その住居を、ガノンは思い出した。

「フッ。そうそう。言い忘れてたよ。アタシはバンバ・ヤガ。人呼んで、【荒地の魔女】さね。アタシのへそを曲げたら、取って食われるかもねえ?」

 ガノンの思考を読んだかのように、黒い塊――否、【荒地の魔女】は言葉を放つ。否、彼女の口ぶりが事実であれば、真実ガノンの考えを読んでいるのやもしれぬ。しかしガノンは、身構えることすらしなかった。彼女の警句を真正面から受け止め、最悪の可能性を引き出さぬようにする。それが、今の彼にとっての『戦い』だった。

「へえ。ここまで動じない人間ってのも珍しいねえ。ここに踏み入った連中の中でも、三本の指には入るかもしれないね」

 魔女はうんうんとうなずきながら、ガノンを導く。あばら家の戸口が音を立てて開くと、そこには――

「……」
「外観からすると、ちくと意外……という顔じゃね? これでも昔は【聖女】などとも呼ばれたもんさ。部屋の中身ぐらい、造作もないさね」

 一瞬、唖然とするガノン。その眼前には、一端の応接間とのたまっても過言ではないほどのこしらえがあった。円座のテーブルに、ガノンがそのなりで座るには少々気後れさえも呼び起こすほどに整った椅子。いつの間に準備していたのだろう。卓上には湯茶の準備がなされており、湯が入っておりと思しき上物に見える陶器からは、湯気までもが立ち上っていた。

「ククッ。一本取ったり」

 魔女が、ケラケラと笑う。ガノンは無言のままに、彼女に対する認識を改めた。そして、それが遅きに失したことを恥じた。己が崇める戦神であれば、『二重の隔絶を受けていた』という言葉の時点で、彼女を警戒していたであろう。己の未熟を、男は恥じていた。しかし。

「ほれほれ。己の未熟を恥じている暇はないぞ。座れ座れ。作法なんぞ構わん」

 すでに席についた魔女が、ガノンをせっつく。いつの間にやら彼女は、自分の分だけ準備を済ませてしまっていた。

「むう……」

 ガノンは唸りつつも、己の分の茶を入れる。魔女の言葉に従う以前に、彼は作法というものを知らなかった。彼の生まれ育った地では、茶というものは注いで、飲む。それで良いものとされていた。だから魔女の言葉は、ちょうどよかった。

「良かろう。ああ、作法なんて無粋な罠でアンタを閉じ込め、二度と帰さぬなんて真似はせぬから安心せえ」
「……そうか」

 ガノンは常なる装いのまま、己の席に腰掛ける。ただし得物は、床に置いた。赤褐色の蛮人と、黒き魔女。二人が対面する光景は、どこか異様なものだった。

「手間取りはしたが、ようやく話せるのう。ラーカンツの、ガノン」
「!?」

 名を言われて、ガノンはその黄金色をした目を見開いた。己は未だ、名乗ってはいないはずである。なのに、なぜ。

「なんだい。名乗りなんてなくとも、アタシにはわかっちまうのさね。ま、それでなくとも、今の荒野でアタシの領域に踏み込めるのは、アンタぐらいのものだよ。たまに迷い込む連中が、噂をしていた。『戦神を崇める匪賊狩りがいる。ソイツは闇の眷属をも倒せるらしい』ってね。変な肩書を持っているとね、そういう辺りもわかっちまうのさ」

 女が、自分を嘲るように口を開く。ガノンはいよいよ、鼻白んだ。これでは、話すことなど皆無ではないか。用がないのであれば、こんな場所など御免である。しかし。

「まあまあ。そう苛立つ必要はないさね。アタシの勘が確かなら、外……【現世】はそろそろ夜になる。一晩夜を明かすのも、また一興よ」

 魔女はカラカラとガノンをなだめる。ガノンは、渋々前を向く。彼女の言葉が正しいかは知らぬが、夜という暇を潰すにはちょうどいい。そうみなすことにした。そうして目が合ったところで、魔女は己を覆う黒布に手を掛けた。

「アタシだけがアンタを丸裸にしても、不公平だからね。喜ぶと良い。バンバ・ヤガの素顔なんて、本来ならラガダン千金積んでも拝めないよ」

 そうのたまって、女が布を脱ぐ。するとそこには。

「……しわがれ声は、謀りか」

 美しい、亜麻色の長髪。少々彫りは深いが、ほうれい線一つない整った顔。高い鼻。くっきりとした青い瞳。敢えて明言するのであれば、【聖女】と言っても差し支えのない美貌の女子が、そこにいた。免疫のない男子であれば、即座に恋に落ちるが如き容貌である。ガノンでさえも、一瞬息を呑んだほどだった。

「『そう』振る舞う内に、そうなっちまった。そういうもんさ」

 美女はしわがれた声のままに答える。演技をする内に、それが染み付いてしまった。そういうことであろうか。わからぬながらも、ガノンは小さくうなずいた。そこに向けて、さらなる言葉が落とされる。それはまったく、予想外の問い掛けだった。

「さてね。どこから話そうか。そうさな。あれだ。まずあれを聞こう。なあ、ガノンよ。ラーカンツってのは、どんな土地だい?」

 ガノンは思わず、口をあんぐりと開いてしまった。

#2へ続く

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