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8/23 平成最後の甲子園は実はセンバツ

一昨日、全国高校野球選手権大会が無事に終了した。事前に不安視された熱中症や酷暑はどこへやら、始まってしまえば熱狂の渦に流されていき。終わってみれば資産資源が豊富な大阪桐蔭高校の順当優勝と相成った。

もちろんエース一本で次々と名門私学を撃破した金足農業の快挙は、素晴らしいとしか言いようがない。第一回大会以来、東北の悲願である真紅の大優勝旗白河越え。これを成すのではと思わせる勢いが、そこにはあった。

だからこそ、その勢いを受け止めた上で横綱相撲で押し切った大阪桐蔭の強さが光るのである。投げる球を奪い、じわじわとスタミナを削り、そして一気に食らう。憎ったらしいレベルで盤石なのである。


光と影

さて、そんな100回目の夏の高校野球は、例年通り、ある意味それ以上に光と闇に覆われた。金足農業の快進撃は地元選手中心のチーム構成や公立高校であることも相まって、多くに支持されていた。

一方の大阪桐蔭。こちらはある意味『影を背負わされ続けている集団』なのかもしれない。勝利至上主義、全国からの選手のかき集め、閉鎖環境下での野球漬け……。『いわゆる全国区強豪私学のイメージ』を煮詰め切ったような、憎たらしいイメージしか出てこない。

その他にも連投問題や熱中症問題。現代酷暑環境への対応やある種の野球至上体制(『学校一丸のイメージ』錬成のためのブラス動員や生徒動員)などなど。高校野球が大きくなったが故の影には事欠かない。


それでも選手は悪くない

だが、これを覆い尽くしてなお余りあるのが『それでも選手たちは悪くない』という真理だ。実際選手は悪くないし、監督も悪くはない。誰かが悪いとは、俺は言えない。

ただ、やはり報道体制の充実は『学校の喧伝』として最良過ぎる環境だし、勝ち続ければ注目も集まる。と、なればそのための采配はどうしても必要だ。アルプスが疎らでは格好もつかない。

ドームへの会場変更は使用料の問題が出てくるらしいし、連投問題に至っては『野球部の母数』もあって、高校野球の平等性を損なう危険性すらある(連合チームとか投手2枚も持てないよ多分)。


そもそも

なぜこうも毎年高校野球に百論が見え隠れするのか? それは、『結局高校野球が好きな人が多い』からである。なんやかんや言っても、16-18の高校生が一球一打に全力で挑む様を結局見てしまうからである。

その結果は時に人生さえも変え、その記憶は忘れ得ぬものとして脳裏に残り、時に語り継がれる。球児のひたむきさが、結局の所みんな好きなのだ。だからこそ、酷暑や連投などで潰れて欲しくないのである。


最後に

長々語ってきたが、これは1ニワカの妄言である。だから、全てが正しいなんてことはない。でも、好きだから仕方ない。

#平成最後の百姓一揆  に愛を込めて。終われ

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