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美術館という「きっかけ」

 先日美術館へ行ってきた。しかし、私は絵に興味があるわけでも、美術に詳しい訳でもない。それでも、美術館へ行ってきた。

 絵に興味があるわけではないと言ったが、恐らくこの表現では齟齬がある。私はきっと、「絵」や「美術」というよりは、「教養」に興味があるのだ。だから、朝の情報番組で「ゴッホのひまわりが〜」と聞いたとき、すぐに美術館のチケットを予約した。調べたところ、どうやたゴッホの他にもゴーギャンや、ルノワールなど、「聞いたことのある芸術家」の絵も展示されるようだった。

 美術館に行くまでの数日は、とてもわくわくした。とはいえ、特にこれから見る芸術家の遍歴について勉強した訳でもない。彼らの作品を知っている訳でもない。勉強すること、知識を吸収することには、「きっかけ」がいるのだ。今回美術館に行くこと自体がその「きっかけ」となると思っている。


 この「きっかけ」について、私の思うことを書いていきたい。

 その前に、私が美術で唯一私が知っている事柄について話したいことがある。それは「モネは妻の死後、他の女性の顔を描いてない」という話である。これは小耳に挟んだ程度であるので、些か真偽については怪しい部分があるが、それを前提として書く。

 モネの作品の一つに、「日傘をさす女」がある。これは全部で3種類あるようだ。「散歩、日傘をさす女」「日傘をさす女(右向き)」「日傘をさす女(左向き)」。
 このうち「散歩、日傘をさす女」が、モネの妻であるカミーユをモデルとした作品であるらしい。カミーユは、モネがこの作品を描いた後に亡くなった。そして、カミーユの死後に書かれたものが、右向き/左向きの日傘をさす女である。そのため、この2作品のモデルはカミーユではない。
 ここで、「モネは妻の死後、他の女性の顔を描いてない」という話を踏まえ、興味のある方是非検索して見比べていただきたいのだが、カミーユをモデルにした「散歩、日傘をさす女」と比べて、「日傘をさす女(右向き)」「日傘をさす女(左向き)」の2作品は女性の顔がかなりぼんやりとしていることがわかると思う。なぜ、モネがカミーユの顔しか描かなかったのか。いつでもモデルの女性にみるのはカミーユの姿であったのだろうか。カミーユの死後、モネの記憶からカミーユが消えていく様なのか、意思を持って妻の顔以外を描くまいとした愛なのか。私には分からないが、非常に興味深く、またロマンのある話である。

 この話の真偽や事実は別として、まず私がこの話を記憶しているのは、モネと「日傘をさす女」を知っていたからなのではないか。モネという人物も、日傘をさす女も知らなければ、きっとこの話に興味を持つことはなかった。

 モネ、そして「日傘をさす女」を知っていたこと。これが今回この話に興味を持つためのある意味での「きっかけ」となったと考えている。

 もちろん、これは美術に限った話ではない。小説、料理、ゲーム、全ての知識の前提に「きっかけ」は存在する。そもそも人間は文字を知っている人もいれば、歌を歌っている人もいる。潮の匂いや山の色を、そして風の音を知っている人もあるだろう。この全てが何かへ繋がる「きっかけ」である。多くの「きっかけ」を積み上げて専門知識や雑学となるのではないか。

 今回美術館で私の中に積み上げられたものは、多くのアーティストの名前や遍歴だけでなく、展示室に満ちる油絵の香り、シンとして微かに張り詰めた空気、作品を鑑賞する人々の動きだった。
 きっとこれは私が今後なにかを知る際の「きっかけ」となるだろう。今回の美術館はその「きっかけ」の「きっかけ」となったのではないだろうか。

 この世界は、美しいものであふれている。しかし、それを美しいと感じるために、きっとなにか必要なものがある。感性だけで感じられる「美しさ」と、そうではない「美しさ」。私はどちらの「美しさ」も知りたいのだ。強欲だろうか。贅沢だろうか。しかし私の人生を彩るのは私なのだ。これからも私は、貪欲に、数多のきっかけを貪ろう。

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